~お茶のこころを伝える~ 父から子への手紙 令和四年・春

季節を五感で感じ、自然と一体となることで人生を豊かにしてくれる「茶の湯」の世界。
お茶をたしなむ父から愛する子にあてた手紙には、相手を思いやるさりげない心づかいや、現代人が心豊かに人生を送るためのヒントが散りばめられています。
お作法やしきたりはちょっと横において、暮らしの中で楽しむ「茶の湯」の世界を覗いてみませんか。
父から子への手紙 令和四年・春
拝啓 早春の候
突然の転勤の知らせに驚いています。入社して一年での異動と、その転勤先に驚いています。
慣れない仕事と人間関係に悩みながらも、初めての土地で君は一人で一年間よくやってきたと思います。コロナ禍での生活も不安だったことだろう。
当方も心配するだけで何の力にもなれなかったと反省しています。
時折いただく君からの便りが私たちの活力剤になっていました。遠いとはいっても狭い日本だから会おうと思えばいつでも会えると、いつもお母さんと話していました。
しかしこの度の転勤先が海外と聞き驚きを禁じ得ません。
今月末に帰省とのこと、楽しみにしています。「花開万国春」(はなひらくばんこくのはる)の軸を掛けて待っています。小間の茶室で語り明かそう。お元気で。 敬具
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掛軸「秋吉則州師筆 《花開萬国春》」
子から父への返信
このたび欧州支所に着任いたしました。
こちらの街は荘厳な建造物が多く、長い歴史を感じさせます。想像していたより賑やかな市街地には日本食レストランもあり、お馴染みのうどんのチェーン店もあります。気温は日本より寒いですが、現地の人によると今年は暖冬だそうです。
先日はお世話になりました。お茶室での時間は私にとって生涯忘れられない貴重なものになると思います。
私がまず感じたのは、口数の少ないお父さんの代わりに道具が語っていたことです。
ポツリポツリと道具の説明だけをするお父さんでしたが、その形や銘にそれぞれ意味があるということ、またそれが生まれてから今日までの私に関連するものであったこと、そしてそれらが組み合わさることによってまた新たな意味を生み出すということに感動しました。
お茶碗の雲錦文様は桜と紅葉という日本人が誇る美しい風景ですね。これが水指の富士山の絵、床の間の白い紙釜敷の上の日の丸香合などと一体となって、ますます日本への望郷の思いがこみ上げてきました。
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茶碗「杉田祥平作 色絵雲錦四季草花 茶碗」
茶杓「橋本紹尚師作 利休形茶杓 銘 常磐木」
水指「今岡妙見作 富士の絵 水指」
棗「松本敬春作 鳳凰蒔絵 平棗」
茶杓の銘「常磐木」の、次の芽が出てから葉が落ちるという代替わりの象徴という話には、父と子の関係に当てはめて涙が出てしまいました。茶器として使った外国製の蓋物の上に、この茶杓が乗ったり離れたりして、まるでこの茶杓が世界を旅する私自身であるかのように感じました。
日本人は道具に銘をつけて、人との繋がりを大事にしてきた茶道という凄い文化を持っている民族なのだと改めて考えさせられました。
今回の経験、子供の頃からの両親の教えが、新しい生活の糧になることと思います。今まで本当に有難うございました。
掛軸の「花開萬国春」、このたった五文字が今回の父から子へのメッセージだと受け取りました。頑張ってきます。お元気で。
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香合「南口閑粋作 日出鶴 香合」
紙釜敷 (白)
~お茶のこころを伝える~
日本橋三越本店 美術部 茶道・工芸担当 三宅 慶昌
「花開萬国春」(はなひらくばんこくのはる)はまさに春爛漫、わが世の春を謳歌する状態でしょう。
ではこの境地に至るまでの過程はどうだったのでしょうか。前年に花が散り、暑い夏を乗り越えて葉を落とし、厳しい冬にしっかりと休眠した上で、明くる年に丈夫な蕾を結ぶ、そんな背景があることを忘れてはなりません。
人生においても同じことが言えるのではないでしょうか。成功するためにはそれなりの努力が必要です。心の鍛錬も必要ですし、栄養も休養も必要です。
この点を理解した上で、今の恵まれた環境に気付くことが大切です。悩みや煩悩は自分の頭の中だけのこととしっかりと受け止めることで、自ずと他者への接し方が変わってくると思います。
人として恥ずかしくない境地に至るにはさまざまな修行を積むべきであると、この言葉は教えてくれています。
さて、新天地ではどのような生活が待っているのでしょうか。何が起ころうともどっしりと構え、自分らしさを出して乗り越えていってもらいたいものです。

また、入社とともに茶道入門、知識と人脈を広げ、人間鍛錬の糧として茶の湯の精神を学んでいる。
プライベートでは、妻と娘二人の父であるが、ともに独立し、たまにSNSで娘たちと交流するのが楽しみ。