三越の歴史は、1673年(延宝元年)三井高利が江戸本町一丁目に呉服店、越後屋を創業したことに始まります。
越後屋創業以来、350年にわたる三越の歴史の中で最大の変革が、呉服店から百貨店への転換でした。
明治期に入ると、長年続いてきた伝統的な呉服店から近代的な小売業へと転換を図るため、さまざまな改革に取り組みました。
1904年(明治37年)には株式会社三越呉服店を設立。
その設立の挨拶状の中で、日本で初めて百貨店という業態を目指す事を宣言しました。
会場では、明治・大正・昭和のトピックスを中心にご紹介していくとともに、
当時の越後屋風景の浮世絵や全館完成時の新聞広告、天女像の完成時の様子、アールヌーボーを取り入れた杉浦非水による三越PR誌
また、本館越後屋・新館杉浦非水の装飾を入口・エレベーター・連絡通路など全館に施し、皆さまのお越しをお待ちしております。
【越後屋店頭風景】
享保(1716年~1736年)の頃の越後屋店頭風景を表現した駿河町越後屋呉服店大浮絵(奥村政信 画)
今では当たり前の商売方法である「現金掛け値なし」は、三越の創業者 三井高利が考案した新商法です。
その当時掲げられた「現金無掛値」の看板や番傘のレプリカを会場にて展示いたします。
【デパートメントストア宣言から120年】
1904年(明治37年)12月中旬からお客さまやお取組先さまに挨拶状を発送、今後の方針として、デパートメントストア宣言を
打ち出した。
翌明治38年年頭、全国主要新聞各紙に一面広告を掲載し、販売商品の種類を増やして「米国のデパートメントストアの一部を実現致すべく」を表明したものが、わが国百貨店の始まりとして有名な「デパートメントストア宣言」である。
今回は、当時の新聞広告を展示いたします。
【明治・大正・昭和のトピックス】
1903年(明治36年)配達自動車クレメント号
自動車さえ珍しかった明治36年、フランス製貨物自動車を購入。
市内を走り回る店名入りの配達車は東京市民の話題をさらい、絶大な宣伝効果をあげた。
1914年(大正3年)日本初のエスカレーター
白レンガに装いをこらしたルネッサンス式の建物の正面入口にはライオン像が据えられた。
店内には日本初のエスカレーターをはじめ、エレベーター、スプリンクラー、暖房換気など最新設備が施され、東京の新名所として話題をさらった。
1935年(昭和10年)本店増築全館落成
作者:松田富喬
6年の歳月を費やして本店の増築改修が完成。
なかでも採光天井の下にフランス産赤斑大理石とイタリア産卵黄色大理石を張り詰めた中央ホールは花園のような美しさ。
地下鉄と直結する地階への通路、2階パイプオルガンなど今までにない趣向が凝らされ、10月1日に全館開店しました。
今回は、当時の全館落成を伝える三越ポスターを展示いたします。
【天女(まごころ)像】
1960年(昭和35年)完成
今から64年前の昭和35年4月、日本橋三越本店の本館1階中央ホールに天女が忽然と舞い降りてきました。
当時の三越の基本理念である「まごころ」をシンボリックに表現する像として、設置されました。
製作は近代彫刻の名匠・佐藤玄々。
京都の妙心寺大心院にアトリエを設け、9年もの歳月を費やし完成しました。
天女像が完成するまで、試作品や関連した木彫品が多くつくられました。
今回は、その一つである、技芸天女の左手に持つ玉盤の上に捧げられている天花だけを作品にしたものを展示いたします。
天花とは天上界に咲くという霊妙な美しい花のことで、まさしく、技芸天女がこの天花と一緒に舞い降りた様子を彫刻で表しています。
きめ細やかな彫刻や彩色を会場にて間近でお楽しみください。
他にも、明治・大正・昭和のトピックスを写真パネルにてご紹介いたします。
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