2024.9.13 UP
経木の折箱に仕切りはない。折り重なるような具材の織りなす景色が美しい。<日本橋弁松総本店>の弁当は、見た目から圧倒的に個性的だ。他の弁当と明らかに違う個性は、味わいもまた然り。万人受けする平均点でなく、好き嫌いかがはっきり分かれる“甘くて濃ゆい”味のルーツは江戸後期に遡る。
江戸時代後期は、米の生産量も増え、一般人も米を食べられるようになった。この頃、調味料も大きく変化した。それまで主流だった味噌に変わり、醤油、そして砂糖や味醂も料理に使われるようになったのだ。徳川家、八代目将軍の吉宗は国産の砂糖作りを奨励し、江戸城内でもサトウキビ生産と砂糖製造の試作を行った。国産の砂糖作りに成功したのは1790年ごろで、1830年代には砂糖の消費量が飛躍的に伸びた。江戸の食文化を記した「守貞謾稿」によれば、江戸後期には菓子だけでなく蕎麦屋、天麩羅屋、鰻屋などでも砂糖が使用されるようになり、お酒を振る舞う店でも豆腐田楽、なすのしぎ焼きなど砂糖を使った味付けが人気になる。里芋を醤油と砂糖で煮た甘煮(うまに)は、酒の肴の一番人気で専門店まであったようだ。
そんな日本人の味覚に大きな変化が起きた時代、江戸の台所として賑わっていた日本橋の魚河岸で弁松は生まれた。初代は樋口与一。市場内の食事処「樋口屋」として開業し、盛りの良さや砂糖たっぷりの気前の良い味付けが人気を博した。魚河岸で働く人々は忙しく、ゆっくり食事をする時間も取れなかったため、経木や竹の皮で残った料理を持ち帰りできるサービスを始めた。このサービスが評判を呼び、最初から包んでほしいという顧客が現れる。「樋口屋」は次第に持ち帰り弁当が主流となり、3代目松次郎の時代に弁当専門店に。「弁当屋の松次郎」を縮めて「弁松」と屋号を改めたのは1850年(嘉永3年)、ペリー来航の3年前だった。
弁松は、現存する中では最古の弁当屋と言われる。その礎を築いたのが3代目の樋口松次郎。
明治時代、4代目貞次郎は高級仕出し弁当を志向。大正時代には関東大震災で店が焼失、昭和は二度の世界大戦、東京大空襲で再び店が焼失。こうした災難を乗り越えて<日本橋総本店弁松>は今なお樋口家直系が暖簾を守る。2度の焼失で過去の資料などは残念ながら残っていないが、代々引き継がれた味のリレーには、創業期からの核のようなものが残っている。「時代も変わったことだし、薄味にした方が売れますよ、と親切で言ってくださるお客様もいらっしゃいます。でも、この甘くて濃ゆい味が弁松なので、好みでなかった方にはごめんなさいという他ない。弁松のままでいさせてほしいのです」と8代目の樋口純一さんは話す。
8代目樋口純一社長。先代が急逝し26歳という若さで経営を任された。先代・先々代の販売拡大路線から一転し本店回帰を目指す。コロナ禍には従業員と共にSNSを活用し、新たなファンを開拓した。
砂糖と醤油をたっぷり使った甘辛くてメリハリのある味わい。樋口社長は「日常食でなく、一種の嗜好品として味わっていただければ」と話す。「なぜこのような味わいになったのか」はこれまで散々聞かれてきたが、答えは一つではなく「日持ちのために味を濃くした」「砂糖が高い時代に見栄を張ってたくさん使った」「江戸の町は肉体労働者が多かったので、ハイカロリーにした」「江戸っ子がはっきりした味が好きだった」「江戸の水質は硬質のため、昆布ではうまくだしが取れず、鰹節中心でその臭みを抑えるのに濃口醤油を大量に使った」など諸説ある。
弁松の代表的な弁当は「並六」。弁当の名前は折箱のサイズに由来するものが多く、「並六」は横の長さが六寸弱、「本七」は横の長さがほぼ七寸。折箱もまた歴史を継いできた存在だ。現在は北海道のエゾ松の間伐材を主に利用しているが、最近は間伐材も入手しにくくなっている。折箱には吸湿と防腐の役割もあり、さらに針葉樹の香りも味わいの一部。底板まで木の折箱である。折箱で食べる弁当は風情があり、底についたご飯粒まで綺麗にさらいたくなる。
折箱も弁松が大切にしている弁当文化の一部。折箱の原材料である北海道のエゾ松の森を訪ねるツアーも企画中という。
弁松の弁当作りは、毎日深夜にスタートする。厨房には大鍋が並び、人海戦術での煮炊きが行われている。だしがたっぷり入った、ふんわりと焼かれる玉子焼は、熟練の職人に手に任されている。
日本橋に本店を構える1737年(元文2年)創業<八木長本店>の鰹節でとったたっぷりの鰹だしと醤油、砂糖のみで作る玉子焼。
「並六」弁当の中央には玉子焼と野菜の甘煮(うまに)が陣取る。甘煮の中でもとりわけ甘いのが里芋。大鍋で2〜3時間かけて煮る里芋は、形は残っているものの箸を入れたらクリームのようだ。
江戸時代、酒の肴としても大人気だった里芋の甘煮。弁松の野菜の甘煮の中でも特に時間をかけて作られる一品だ。
「20年ほど前に大正生まれというお客様から、昔はおたくの里芋は箸で持ち上げると、たれが途中で止まったよと言われました。流石に今はそこまで甘くはない。意図的に変えてきたわけではないけれど、その時代、時代で大筋を守りながら職人さんたちが味を調整してきたのだと思います」と樋口さん。
玉子焼、めかじきの照焼、生姜と昆布の辛煮、野菜の甘煮(うまに)、つとぶ、かまぼこ、そして豆きんとん。当日の手焼きにこだわる玉子焼は、例外的に甘くない味付けで具材の中では一番人気だ。生姜と昆布の辛煮が甘さの中のアクセント。つとぶは、生麩をつと(すだれ)で巻いて作られたもので、でんぷんが発酵したほのかな酸味がある。甘い印象が強いが辛味や酸味、だしの旨みも味わいの起伏を作る。
並六 白飯弁当(1折/2段)1,350円
どこから食べても良いような形に具材が並べられている。一品一品役者揃いだが、超個性派の「豆きんとん」は最後にデザートとして食べる人が多く、バニラアイスとの相性もよいそうだ。
白米以外にも季節のご飯との組み合わせなどのバリエーションもある。「赤詰」は、赤飯とおかずが一段にコンパクトにまとまっていて人気だ。
赤詰(あかづめ)(1折)1,340円
赤飯は、餅米でなくうるち米と小豆を蒸した強飯(こわめし)。落語の「子別れ」の冒頭には、大往生した仏様の会葬で、弁松の赤飯と煮物が配られたという台詞がある。
弁当に入っている具材は大抵が単品でお惣菜としても買える。「弁松 おかかふりかけ」も家庭の常備菜としてファンが多い。
弁松おかかふりかけ(鰹節ふりかけ)(1パック/100g) 432円
玉子焼の一番だしをとっただしがらで作ったふりかけ。醤油味で白飯が進む。
生姜と昆布の辛煮(100g)810円
佃煮風煮物。甘い弁当の中でピリッとした辛味のある締め役。お茶漬けで食べるのもおすすめだ。
弁松は、2020年に170周年を迎えた。新年に「並六」の手拭いを作ってSNSで希望者を募集したところ瞬時に応募がいっぱいに。まもなくコロナ禍に突入したが、その間SNSを通じて顧客との新たなコミュニケーションが交わされるようになる。
弁松の弁当や惣菜がモチーフとなった楽しい意匠のオリジナル日本手ぬぐい。創業1872年、日本橋の老舗の一つである<戸田屋商店>の手によるもの。(伊勢丹新宿店では通常販売はございません)
もともと江戸の町、日本橋に根付いた歴史的ローカルな味わい。コロナ禍がきっかけとなり、これまで接点のなかった日本全国の人にも弁松を知る機会はむしろ増えている。惣菜セットをクール便で配送したところ、自宅で子供と一緒に盛り付けした様子をアップする顧客と繋がったり、老舗は新たな刺激を受けている。ローカルに徹してきたからこそ守られてきた個性が日本各地の人々が、そして世界に、真に輝くのはこれからかもしれない。
Text : Kaori Shibata
Photo : Yu Nakaniwa , Yuya Wada