孤高の美術家、篠田桃紅が歩んだ時代に迫る|
篠田桃紅展-生誕110年記念-

篠田桃紅展ー生誕110年記念の画像

東洋的な伝統美と革新的な造形美を融合させ「墨象」という新しいジャンルを切り拓き、107歳で他界した孤高の美術家、篠田桃紅。余分なものを削ぎ落し、一瞬の心のかたちを優美な線と面で表現した抽象作品、題字や出版物などの依頼で書き残した書、半世紀以上にわたって制作し続けた手彩色を施した版画作品まで一堂に展覧いたします。その他、映像視聴コーナーや、桃紅の愛用した筆や硯の特別展示を通じ、篠田桃紅が歩んだ約一世紀という時代背景に迫ります。

篠田桃紅展-生誕110年記念-
併催:現代アート|創造と挑戦 片山雅史・荒井恵子

□2023年4月12日(水)〜4月17日(月) [最終日午後6時終了]
□伊勢丹新宿店 本館6階 催物場
□お問い合わせ:伊勢丹新宿店 本館6階 アートギャラリー 03-3225-2793 直通

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美術家、篠田桃紅の誕生

篠田桃紅(本名 満洲子(ますこ) )は、1913年3月28日に中国の大連(旧満州国大連)で父 頼次郎(らいじろう)と母 丈の三男四女の五子として生まれました。
桃紅の生まれた家は、鹿鳴館やニコライ堂などを設計した英国人の建築家、ジョサイア・コンドルによる3階建ての赤レンガ造りの建物でした。翌年には帰国したため、桃紅にはその当時の記憶はありませんが、壮大な大陸の開放感が、母胎を通じ、桃紅に自由に生きる道を歩ませたのではないでしょうか。

桃紅は5歳の時はじめて墨と筆を取り、父から書の手ほどきを受け、漢学、印刻、書、水墨、和歌をはじめ、中国や日本の古典を学びました。
桃紅の雅号は、中国の禅林句集に由来します。「桃は紅 季は白 薔薇は紫 それはどうしてなんでしょう?と春風に聞いてみても 知らないとの答え」禅者があるべき無心の境地を、個性のままに美しく咲く花になぞらえた言葉です。

篠田桃紅のプロフィール画像

桃紅が生まれた翌年には第一次世界大戦が勃発し、満州事変や世界大恐慌など、世界が再び戦争へと突き進んでいきました。その間疫病も流行り、現在と少し類似するところがありました。二十歳の頃には、日本が国際連盟から脱退するなど社会情勢が大きく変化し、戦争が桃紅の青春にも暗い影を落としました。1945年の敗戦の年、桃紅は32歳を迎えました。
1950年代、戦争の混乱から落ち着きを取り戻し、桃紅は前衛の書家として頭角を現します。その当時、日本で起こった前衛の書の運動「墨象」は、世界のアーティストにも大きな影響を与え、ピエール・アレシンスキーは映画「日本の書」(1956年完成)の撮影のため、桃紅の制作現場を取材しています。

「讃歌」
「讃歌」(和紙に墨・金泥・銀泥/180×130cm)
※価格はお問い合わせください。

欧米に影響を与えた桃紅の作品

1956年 美術館やギャラリーでの展覧会の招待を受けて、桃紅は43歳で渡米します。その当時ニューヨークでは抽象表現主義が、ヨーロッパではアンフォルメル運動が席捲しており、桃紅は改めて自分の表現に確信を得たと言います。そして文字を解体し、日本の文学や文字が入り込まない純粋な自己のかたちを追求していきます。
桃紅がキャンバスとして用いた和紙。墨による美しく鋭いモノトーンな面と線の構成。金箔、銀箔を使いながらも派手さのない上品なマチエール。森羅万象、あらゆるものに命が宿っていると囁くかのようなやさしさと相反する厳しさ、大胆さ。幽玄(有限)の中に無限の美をみる、といった考えは、欧米人にとってすべてが新鮮にうつったことでしょう。「秘すれば花なり」と名言を残した世阿弥の言葉を借りれば、目にみえるものがすべてではなく、みえないものの中にこそ、ものの本質があるということでしょう。

「墨色にたすけられるように、想いが充ちてくれば、ある機が訪れてかたちが生まれる気配もある。心のうちに煙のように立ち昇るもの、煙よりも捉えがたく、見がたい、人の心という不可視のもの、しかし不可視であってもかたちを持つものを、可視のかたちにしたい、と希う。」
出典『おもいのほかの』冬樹社(1985年刊)190ページより

「春暁」
「春暁」(和紙に墨・朱・胡粉/205×148cm)
※価格はお問い合わせください。

日本での制作と「小倉百人一首」

桃紅は、ニューヨークを拠点に、ワシントン、シンシナティー、シカゴの美術館から次々と展覧会の招待を受けて、成功を収めますが、渡米先で墨と和紙がいかに日本の気候と風土に根ざしているかを悟り、2年後帰国します。その後は、制作は日本で、発表は海外で、という生活を続けます。

桃紅は1980年代から百人一首を手がけ、1983年には日本橋三越本店を皮切りに各地を巡回して展覧会が開催されました。
「小倉百人一首」は、鎌倉時代に藤原定家が嵯峨の小倉山荘で、天智天皇から順徳天皇に至る600年に及ぶ時代の中から百人の歌人をそれぞれ一首ずつ選んだ秀歌撰で、日本でもっとも親しまれた古典です。

桃紅は、幼少より万葉集や古今集などの和歌や能といった日本の古典に親しみ、女学校を卒業後、歌人の中原綾子に和歌を学び、雑誌『いづかし』に投稿していました。桃紅にとって文字は表現の手だてとして、抽象画とともに表現の両輪となっています。

百人一首より 天智天皇「秋の田の かりほの庵の…」
百人一首より 天智天皇「秋の田の かりほの庵の…」1,870,000円
(料紙に墨/26.8×19.7cm)

「四季の歌 小倉百人一首より」

「四季の歌 小倉百人一首より」(金地に墨・銀泥/60×90cm)
※価格はお問い合わせください。

墨と向き合い、独自の墨象へ

篠田桃紅の一日は、毎朝 横65センチほどの大きな硯に新しい水を注ぎ、香りたつ墨を磨ることから始まります。墨を磨るという行為は、単調な繰り返しに過ぎませんが、一種言いようのない官能が磨墨を通じて手から身に伝わると言います。
墨のくろ、それは「玄」であり、老子によれば、玄とは人生と宇宙の根源であり、真っ黒の一歩手前の色、明るさのある黒で、心を騒がせない、動きを残す色という深い意味が込められているそうですが、そこに到達するのは、限りなく難しいと桃紅は言います。

「墨という道具は、その表現のてだてとして何千年の歳月を歩んできたらしい。子供のころ、父から最初にあてがわれた墨に「玄之又玄」と銘があった。私は「玄」も老子も何も知らずおとなになり、墨に親しみ、墨になじみ、墨をたよりにし、墨に誘われ、操られ、惑わされ、裏切られ、また墨に救われているうちに老いた。」
出典『桃紅-私というひとり』世界文化社(2000年刊)14ページより

桃紅は、幼少の頃より書に親しみ、戦後まもなく単身で渡米、日本古来の書に根ざした独自の墨による「かたち」を創造し、欧米で高い評価を受けました。甲骨文字に端を発した漢字は、記号であると同時に直感的に意味や情景を想起させます。その本質を求めて制作を重ねるなかで、次第に桃紅の表現は文字という形態を離れて、やがて余計なものをそぎ落としながら深い含みを持った現在の墨象へと向かっていきました。

「壽」4,400,000円
「壽」4,400,000円 (和紙に墨/86×58cm)

「ある時「川」という字をかく。「川」の字はタテ三本に決まっている。二本にも七本にもしてはならない。けれども私は五本とか十三本とかのタテの線を書きたくなる。また無数の線をかきたくなってくる。」
出典『墨いろ』PHP研究所(2016年刊)23ページより

「乙女」
「乙女」(銀地に墨・朱・銀泥/75×50cm)
※価格はお問い合わせください。

生涯をかけて追い求めた新しい「かたち」

百歳を過ぎても常に新しい「かたち」を追い求めてきた桃紅の創作の源は何だったのでしょうか?二十代で初めて開催した書の個展。当時の書道界では、優れた才能はあるけれども、根がない『根無し草』と酷評されました。古典的な書の写しでないと評価されなかった時代、既製品を複製する、それが書道というものでした。

文字に至る以前の、形にならない「かたち」をいかに抽象的に表現するか、桃紅にとって文字とかたち(抽象)は表裏一体の表現なのです。

「虚実皮膜」とは近松門左衛門の言葉です。皮と膜の間、物質としては存在しないが、真実がそこにあると感じ取ること、あるいは真実らしきものを感じ取る見方にこそ、桃紅芸術の真意があるのではないでしょうか。そしてそれを独自のかたちに置き換えることこそ、篠田桃紅が追い求めた表現の手立てだったのではないでしょうか。

「硯に水を足す。富士の溶岩の下から汲み上げた水、私の恃みとするものは、ことしも、この冷たい水ぐらいか、と見る硯の海に障子が映っている。 水の中の桟が揺れ、やがて静かに止まった。まず一本の線を書こう、と思う。」
出典『その日の墨』河出書房新社(2014年刊)179ページより

「Profound」880,000円

「Profound」880,000円 (2000年/リトグラフに手彩色/53×72cm)
「Anthology」605,000円
「Anthology」605,000円 (2000年/リトグラフに手彩色/38×28cm)

「叡智」

「叡智」(銀地に墨・朱・銀泥/68.5×133cm)
※価格はお問い合わせください。

column「人は忘れるということで人生のバランスを保つ」

『二十歳の思い出』篠田桃紅氏に平田美智子氏がインタビュー(2015年初夏)より

私が二十歳の頃は、戦争に向かって社会情勢が大きく変化していきました。その後、日中戦争が始まり、配偶者が戦争にとられ、未亡人となった友人たちが何人もいました。戦争という事態に割りを食うのはきまって女性や子供です。残念ながら夢や希望に満ちている青春時代ではありませんでした。

「男女七歳にして席を同じゅうせず。」という諺があるように、親が決めた人と結婚するのが当たり前という時代でした。家長である父親の存在が絶対で、生きたいように生きることもできなかった。当時は親や年寄りのモラルと若い人々とのモラルのぶつかり合いでした。

芥川龍之介が「女性はパラソル一つ買うのにも、デパートメントのあちらこちらを行ったり来たりして、一日がかりで決めるのに、一生の相手を選ぶのは、知り合いの叔母さんとか学校の校長とか、そういうはなはだあてにならぬ人物のすすめによって決めることにどうしても理解に苦しむ。」と随筆に書いていました。私は本当だ。この人の言う通りだとおもいました。それで運良くいい人にあたればいいけど、結婚はくじ引きみたいなものだと。失敗しても伴侶は自分で決める、今の時代の方がいいですね。

親の決めた相手と結婚させられないように、お習字を教える道を選びました。昔から書道の先生に「あなたはいつでもひとかどの書家になれますよ。」と褒められていたので、これだったらやっていけると自信がありました。独立するために選んだ道です。

二十代の頃、私は東京の銀座で初個展を開きました。個展を観たある書道家が、才気煥発だけれども、根がない「根無し草」と批評しました。その当時、日本にはまだ抽象的な自由な表現がなかった頃で、古典的な書の写しのようにまねしたものでないと評価されなかった。言うなれば、既製品を複製する、それが書道というものだった。

戦時中、文化や芸術にどれだけの価値があったのでしょうか。それよりも道端に生えている一本の雑草を見て「これは食べられるのか。」というおもいのほうが強かった。

他に何を考えていたか?何にも覚えていません。人は「忘れる」ということで、人生のバランスを保っているのかもしれません。ただこの歳になると戦争の愚かさを後世に伝える必要がある、とおもう一方、人は自分で経験していないことを聴かされても、「ああ、そうか?」という程度で身に染みることはありませんね。人間は自分の経験すら忘れる儚い存在です。

三越伊勢丹オンラインストアにて篠田桃紅版画作品販売中

併催:現代アート|
創造と挑戦 片山雅史・荒井恵子

□2023年4月12日(水)〜4月17日(月) [最終日午後6時終了]
□伊勢丹新宿店 本館6階 催物場

新たな表現を追求し、独自の幽玄なる世界を創りあげてきた、今最注目の二人の現代アーティスト、片山雅史、荒井恵子に焦点を当て、墨を使った作品を含む代表作を展観いたします。

片山雅史は、向日葵の花芯や巻貝、植物のつるなど幾何学的秩序で構成された「螺旋」を一つのテーマに、自然が内包する生命の律動を、墨や鉱物顔料を何層にも重ね描いています。
「あたり一面に広がる花畑、目の前の眩いばかりの圧倒的な黄色の花の世界に心を奪われる。それぞれの花の輪郭は曖昧になり、色の魂が網膜にやきつく。その記憶が残像を伴い目蓋の中で心の内と外を往来する」
この「皮膜」のシリーズでは、「見ることとは何か?」そして「視覚と記憶の関係」に焦点を当て、五感の先にある知覚を呼び覚まします。

片山雅史「皮膜2001」5,500,000円

片山雅史「皮膜 2001」5,500,000円 (キャンバスにミクストメディア/230×276cm/3枚組)

荒井恵子は、100種類の異なる墨で無限に広がる墨色におもいを託し、日々刻々と過ぎゆく時間と一瞬に潜む墨のかたちを描いています。今展覧会では、ふなばしアンデルセン公園 子ども美術館で展観した、白から黒へと移行する微妙なグラデーションを100枚の越前和紙を使い表現した巨大インスタレーション「白ト黒ノ間」を展示いたします。映像作品とのコラボレーション「Sukimajikan ―生まれた時間 失われた時間―」では、時間とは?記憶とは?といった素朴な疑問を投げかけます。

荒井恵子「白ト黒ノ間」の展示風景

荒井恵子「白ト黒ノ間」(2022年/和紙に墨/130×60cm (1点のサイズ))
※展示風景(実際の展示とは異なります。予めご了承ください。)

エムアイカード特典

4月12日(水)〜4月17日(月)の期間中、「篠田桃紅展-生誕110年記念- 併催:現代アート|創造と挑戦 片山雅史・荒井恵子」の会場内で、篠田桃紅作品をエムアイカードでお買いあげいただいたお客さま、または、三越伊勢丹オンラインストアにて篠田桃紅作品をエムアイカードでお買いあげいただいたお客さまに、篠田桃紅著『これでおしまい』(講談社)を1冊差しあげます。

篠田桃紅著『これでおしまい』の画像

※価格はすべて税込です。
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