【インタビュー】書家・現代アーティスト 柿沼 康二。何にも縛られず、自由に表現と向き合う「平気」の境地。

何にも縛られず、自由に表現と向き合う「平気」の境地。
2022年1月12日、夕暮れ時の伊勢丹新宿店メンズ館。正面ウィンドーの前には、黒山の人だかりがあった。その視線の先にあるのは、2脚並べて立てた脚立の上から、ショーウィンドーに黙々とマスキングテープを貼り付けていく一人の男の姿。その場に偶然居合わせた人々は、一体何が行われているのか、この男が何者なのか、まったく知る由もないまま、ただ固唾を飲んで見守るばかりだ。このようにして、書家・柿沼 康二によるゲリラパフォーマンスは、何の前触れもなく始まった。屋外での出来事とはいえ、現場には不思議な静けさと緊張感が漂い、その特殊な雰囲気の中でパフォーマンスは約50分間続いた。そして、柿沼が初めてオーディエンスの前に来て深々と頭を下げた時、ショーウィンドーに残されていたのは、黒のマスキングテープで書かれた巨大な「男」の文字と、その背後でぐるぐるとトグロを巻く、赤のクエスチョンマークだった。
マスキングテープを操るアナーキーな書家、そして現代アーティストの柿沼 康二とは、一体何者なのか? ゲリラパフォーマンスを通して投げかけられたメッセージとともに、彼の表現世界の真髄に迫る。
EPOCH MARCH 16, 2022 ISETAN MEN'S 柿沼康二
インスピレーションの赴くまま、すべてを即興で
───今回、伊勢丹新宿店メンズ館のショーウィンドーを使ってゲリラパフォーマンスを行われましたが、何か具体的なコンセプトはありましたか?
柿沼 康二(以下柿沼):最近は、“ノープラン”がコンセプトなんですよね(笑)。と、言っても別にふざけているわけではなくて、プランを練り上げた結果、なくしていくって言うのが私の中では大事なんです。例えば、今回はショーウィンドーの奥にある壁は、壁紙を剥がした状態のままにしてもらいましたが、もしもあそこできれいにキャンバスが整ってしまうと、「さぁ、やりますよ!」っていう感じが出て、ゲリラならではの臨場感がなくなってしまうんです。最近も、岡本太郎記念館で4カ月間続く展示をやらせていただいていますが、とてもプランして挑めるようなお題ではないですし、内容が4カ月も持たないんです。だから私はまさにノープランのまま記念館を訪れて、そこで岡本 太郎の世界に身を沈めながら、インスピレーションの赴くまま、すべてを即興で作り上げていきました。
───その結果、伊勢丹新宿店メンズ館のショーウィンドーには、「男」の文字とともに、大きなクエスチョンマークが残されました。とてもメッセージ性が強い作品のように見えますが、あの作品にはどのような意図がありますか?
柿沼: 伊勢丹新宿店メンズ館は男性のために用意された場所ですが、「じゃあ男って何だ?」と考えた時に、それは誰かが決めるべきことではありません。私が思う男像みたいな物を書いてみる案もありました。でも、私一人の考えを大きく掲げるのはおかしいですよね。具体的なメッセージは?というと特にありませんが、この作品を観た人たちにも、男について自分たちで考えてみるきっかけができれば、それが一番。そしてメンズ館は、どんな形であれ、みんながそれぞれの男像を叶えられる場所であるべきだと思っています。

©Hiroki Nose (@hirokingraphy)
書の表現方法はもっと自由であっていい
───書家の柿沼さんが、およそ書やアートの世界とは無縁の存在である、大量生産品のマスキングテープで作品を書かれていること自体にも、書に対する大きな「?」が提示されているように思います。どのようにして、マスキングテープを用いるようになったのですか?
柿沼:書の歴史は約3,500年と言われていますが、そんなに長い歴史があれば、大抵のことはすでにやり尽くされています。でも筆と紙と墨という道具の制限さえ超えられるならば、書にはまだ、新しい表現の可能性が残されているんです。マスキングテープを手に取ったのは、新しいことが生み出せないジレンマに対する自分なりの足掻きでした。
───とはいえ、3,500年培われた書の道に対して疑問を投げかけることは、とても勇気がいることだと思います。書の道から外れる怖さはありませんか?
柿沼:書に対して、僕ほど“どストレート”に向き合っている人も少ないと思いますけどね(笑)。それこそ岡本 太郎は、生前に「誤解される人の姿は美しい」という言葉を残していますが、その言葉は一つの支えになっています。だって、私みたいなタイプは、常に“インチキ書道家”と誤解されてばかりですから(笑)。今は日本よりも海外の方が、作品を真っ直ぐに評価してもらえる環境が整っているように感じます。UAEで開催されたカリグラフィー・ビエンナーレに参加した時も、同じカリグラファーとして招聘された海外のアーティストの作品を見ると、だだっ広い部屋にコーラの缶が一つ置いてあるだけだったり、彫刻が展示されていたりと、表現方法はとても自由です。じゃあどこがカリグラフィーなのかっていうと、そのインスタレーションを作成するきっかけが言葉にあるから、その言葉を表現しているのであれば、形はどうあれ、それはカリグラフィーだっていうことなんです。このように海外では、カリグラフィーとアートの間に境界線はありませんが、日本ではいつまでも、“書はこうあるべきだ”というステレオタイプのイメージが強くて、どうしても表現が広がっていかない。書家は芸術家になれないんです。

もうこのまま、筆を持たなくてもいいかもしれないと思えるほど
───マスキングテープを用いるようになって、柿沼さんの表現はどのように変化しましたか?
柿沼:自分自身、このマスキングテープの表現が“絶対”だとは思っていません。でも、筆と紙と墨だけの世界の中で、ああでもない、こうでもないとやっていても自分の中でなかなか面白さが見つかりづらくなっているのに、この手法を用いるようになってからは、何をやっても楽しいし、明らかに新しい物を生み出せている実感があります。そこで、筆には限界があるということをつくづく思い知らされました。マスキングテープの作品を書いてうちの7歳の娘に見せると、素直に「かっこいい!」って言ってくれるし、大真面目に「コマネチ」とか書くと、泣くほど大笑いしくれるんです。筆では絶対に「コマネチ」なんて言葉を書きたいとは思いませんが、マスキングテープなら何でも書けるんです。大変ですよ。表現のキャパが広がっちゃって(笑)。
───今回のゲリラパフォーマンスではマスキングテープだけで作品を書き上げましたが、普段はそこに筆も組み合わせることも多いですよね? 二つの要素は、どのように使い分けているのですか?
柿沼:もちろん、筆には筆の良さがあって、テープにはテープの良さがあります。筆ではどんなに頑張っても、完璧な直線は書けません。反対にテープでは、抑揚のある線や濃淡は表現できません。筆だろうが、テープだろうが、大事なのは強いか、強くないか。お互いの強い部分を組み合わせることで、どんどん可能性は広がっていきます。正直、つい最近までは「テープに飽きたら、またすぐに筆に戻ればいいや。」っていう思いが頭のどこかにありました。でも今は、もうこのまま、筆を持たなくてもいいかもしれないと思えるほど、心がとてもクリーンな状態になっています。もう一つ、岡本 太郎から影響を受けた考え方の中で、「平気」という感覚があります。いばらの道でも、狂気に触れても、常に「平気」でいられるぐらい開き直っていないと、作品にエネルギーは籠もってきません。逃げ腰だったり、他人からの評価に気を取られていたり、そんな状態から産み出されたものには、生命力は宿らないんです。何にも縛られず、ただ自由に表現と向き合う。そんな「平気」を保てることが、何よりも大切です。

目の前に転がる大事なものを、ゴミにするのも宝物にするのも自分次第
───世界中のアーティストを見ても、そういう悟りというか、エウレカというか、エポック・メイキングな体験を通して自分のやるべきことを見いだすことで、心の「平気」を実感できている人は、なかなかいないのではないでしょうか?
柿沼:いないでしょうね(笑)。ただ、私は音楽も大好きなんですが、稀にミュージシャンでも、大きな革新とともに壁を乗り越えていく人たちがいて、そういう人たちの考え方から影響を受けることも多いです。例えば、ロックバンドのU2は、アメリカのルーツミュージックに傾倒した『ヨシュア・トゥリー』で商業的な大ヒットを記録しましたが、次作の『アクトン・ベイビー』ではそのサウンドとはあっさりと決別し、打ち込みを駆使したヨーロッパ的なダンス・ビートを取り入れることで、自分たちだけのサウンドを手に入れました。私はマスキングテープのほかに、ブラックライトを使ったりもしますが、今やっていることのアイデアは、ほとんど20代前半の頃に思いついたものです。それを実行できるかどうかが能力であって、理解されず、誤解されることばかりで、やり通すのにもそれ相応の勇気が必要です。以前、ある知り合いから、「僕のやろうとすることは、全部柿沼さんにやられちゃうんです。」って言われたことがありますが、その人はただ、やる勇気と覚悟がないだけに見えてしまいます。
───確かに、手法自体は誰が考えついてもおかしくないほど、とてもシンプルなことですね。でも、実際にそれは、これまでに誰もやってこなかったことです。そういうところに着目する秘訣は何かありますか?
柿沼:世の中には、いたるところに発明へと導くヒントが転がっています。大事なのは、それに気づくかどうか。せっかく目の前にあっても、それをゴミにするのも、宝物にするのも自分次第。芸術って、“気付き”ですから。こうやって紙をくしゃくしゃに丸めて床に転がしただけでも、素晴らしい芸術になり得るかもしれない。「じゃあゴミって何だろう?」「男って?」「女って?」。誰かに教わるのではなくて、自分の頭で考えること自体が、芸術を生み出す行為だと思うんです。

~主な作品~
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©Tokyo 2020
『開』東京2020オリンピック・パラリンピック公式アートポスター
2020年 96×73cm -
『生』
2020年 137×140cm
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『イマ トランス』
2021年 137×140cm -
『おまえはだれだ』
2002年 80×177cm
柿沼 康二×伊勢丹新宿店メンズ館による、さまざまなコラボレーションを展開
柿沼氏と伊勢丹新宿店メンズ館のコラボレーションは、メンズ館正面ウィンドージャック(展示終了)をはじめ、『EPOCH』とのコラボレーション、メンズ館3階連絡通路ジャックのほか、3月23日(水)~4月5日(火) までメンズ館2階 メンズクリエーターズでの個展「KOJI KAKINUMA UNTITLED 2022」も開催予定。
『男』 ~メンズ館正面ウィンドージャック~ ※展示終了

©Hiroki Nose (@hirokingraphy)

『EPOCH』vol.27のキーワードである 「男」という文字が、カバーで力強く存在感を放つ。そして、『EPOCH』に登場する23のラグジュアリーブランドをイメージしたタイポグラフィも今号のために新たに制作された。

『のり超える』 ~メンズ館3階連絡通路ジャック~
□開催中~2022年4月5日(火)
□伊勢丹新宿店 メンズ館3階 連絡通路
2月某日、伊勢丹新宿店メンズ館連絡通路で突如始まったゲリラパフォーマンス。さまざまな困難が取り巻く昨今、一人ひとりが自由に未来を切り開き、「のりこえていこう」という強い思いが込められている。



©Hiroki Nose (@hirokingraphy)
【予告】『KOJI KAKINUMA UNTITLED 2022』
□2022年3月23日(水)~2022年4月5日(火)
□伊勢丹新宿店メンズ館2階 メンズクリエーターズ
Photograph:MINORU KABURAGI
Text:SHINGO SANO
ファッションマガジン『EPOCH』の公式インスタグラム(@isetanmens_epoch)では、
伊勢丹新宿店メンズ館3階・4階ラグジュアリーメゾンの最旬ファッションやイベント情報をお届けいたします。