奈良一刀彫のお雛さま。三代目神泉の「雛人形」

奈良一刀彫の雛人形の起源は、平安時代の終わり頃に春日大社の祭礼で飾られたもの。それが江戸時代に節句人形として一般に広まったと伝えられています。「段飾雛(だんかざりびな)」の人形は手のひらに軽く乗るほどの大きさで、一つひとつの人形には、美しい彩色が施されています。今回は、奈良一刀彫の雛人形を作る女性職人 三代目神泉(しんせん)さんをお訪ねして「伝統ある木製の雛人形」のお話を伺いました。
ー奈良一刀彫とはー
日本文化の発祥の地、奈良には伝統に育まれた多彩な伝統工芸が脈々と受け継がれています。奈良一刀彫もその一つ。文献によると、平安時代末期の保延年間に「春日若宮おん祭」で芸能を奉納した田楽座の花笠に、木彫の人形が飾られていたと伝えられています。
その後、江戸時代の後期から明治時代にかけて奈良一刀彫の名を全国に知らしめたのは彫刻家 森川 杜園(もりかわ とえん)です。彼は「春日若宮おん祭」にも携わり、春日有職奈良人形師として素晴らしい作品を次々に生み出しました。
大和の国に生まれ、受け継がれ、森川 杜園によって高められた奈良一刀彫の特長は、鋭いノミ跡が見せる稜角や面と、金箔や岩絵具で彩られた華麗な図柄との、美しい調和にあります。誕生から約870年、伝統の上に新しい意匠を盛り込んだ名作が今日も生み出されています。
力強い造形に華麗な彩色を纏った、奈良の都のお雛さま

―奈良一刀彫の雛人形は、「素材の質感がいい!」「あたたかみがあって、かわいらしい!」などのお声をお客さまから頂戴する、日本橋三越本店でも人気商品の一つです。神泉さんは、どのような想いでこのお人形を作っているのでしょうか。今日はいろいろなお話をお聞かせください。初めに、奈良一刀彫の職人さんは、現在何人位いらっしゃるのでしょうか。神泉さんのような女性の職人さんは多いのですか。
神泉さん:
職人の数は、県内に30人ほどだと思います。その中で女性となると、職人の娘さんで跡を継がれている方はいらっしゃるようですが、ほかにはほとんど出会ったことがありません。おそらく、たいへん珍しいのではないでしょうか。
―奈良一刀彫の職人さんのお家の生まれではない神泉さんが、今の仕事に就いたきっかけを教えてください。
神泉さん:
幼稚園の時に、父親の仕事の関係で高知から奈良に引っ越してきました。子供の頃から、町の至るところに建っているお寺が好きで、あちこち見て回っていました。大学生だった20歳の頃に、京都の二条城や東本願寺の欄間をまじまじと見て強い衝撃を受けました。「このような美しい造形を自分も彫ってみたい!」と思ったのです。
そこで、大学卒業後は京都の伝統工芸の学校に進み、卒業時に先生から奈良一刀彫の仕事をご紹介いただきました。奈良出身ということもありましたし、私は美しく彩色された木彫に強く惹かれていましたので、「挑戦してみよう!」と思いました。
神泉さんの工房には、静謐な時間が流れていました

―こちらが工房ですね。彫る職人さんも、彩色をする職人さんも、皆さんお若いのですね。
神泉さん:
最近、一番上の世代の職人の年齢が上がり、お辞めになる方が増えています。さらに、その下の職人の数が少ないのです。若い世代に繋いでいかなければならないので、下の世代を指導しながらこちらで制作をしています。新しいデザインを考える時は、彩色の職人さんが近くにいると一緒に作り上げることができて都合がいいですね。

―奈良一刀彫に使われる木の種類は何ですか。
神泉さん:
干支人形などには楠(クスノキ)を使うことが多いです。ところが、楠は灰汁(あく)が出やすく、色が入りにくいのです。そのため、繊細な彩色が必要になる雛人形では、桂(カツラ)を使う方もいらっしゃいますが、私は木目の揃った桧葉(ヒバ)を使っています。木目が細かいので、美しい色が入りやすいのです。
―木を彫る時のスピードが速く、シャー!っと彫刻刀の大きな音がするので驚きました。いつもそのような音がするのですか。
神泉さん:
今は、ちょうど木の繊維に対して横向きに刃を入れて彫ったので大きな音がしたのです。木目によって、音もしたりしなかったりと変わります。縦向きの彫りの場合は刃の通りがいいので刃のスピードはさらに早くなり、静かになります。

―こちらにある彫刻刀を全部使うのですか。
神泉さん:
私は、丸刀・三角刀・平刀など約10本を使い分けています。大きな平刀は肩に当てて力を入れやすいので、大きな物を一気に彫りたい時に使っています。道具は自分で作ります。例えば、持ち手の太さは自分で削って、自分に合わせて調整しています。道具はほぼ毎日自分で研ぎます。使っている刃物が切れなくなると砥石や機械で研いで・・・切れなくなると研いで・・・の繰り返しです。
―素朴な質問です。奈良一刀彫のお人形を彫る仕事は、どのくらい難しいのでしょうか。
神泉さん:
最初、見ているだけのときは「簡単そうだな」と思いました。でも、実際にやってみると、彫りを面でとらえてバランスを取るのが本当に難しい。たとえ一体は作れても、左右対称のものを十体作れるようになるまでには長い時間が掛かります。1箇所が1mmずれただけで、全体が崩れてしまう。お人形は人体ですから、バランスがとても大事なのです。
―一番面白いのはどのようなところですか。
神泉さん:
まず、木そのものに触(さわ)れるところ。一刀彫は、身体を使って作業することのできる工芸です。仕事にリアリティがあるのです。私にはそれが合っていたのだと思います。彫刻刀を握り、木に向かって最終的な完成形を想像しながら足し算ではなく引き算で360度攻めて行って、最後にそれがストーンとつながって形になる感覚が面白いです。
―お雛さまを彫りながら、神泉さんが心掛けているのは、どのようなことですか。
神泉さん:
雛人形には、親の想いを次の世代に託すという使命があります。大切な願いを寄せる時に選んでいただける、想いの伝わる「お雛さま」を作りたいなと思っています。
木彫りの作業には終わりがありません。手を抜こうと思えばいくらでも抜けるのかもしれません。だからこそ私にできることは、一つひとつの作業を丁寧に積み重ねること。私の作った雛人形が、これから続いて行くお子さまの人生の中で、何かしら大切な支えになってくれたらいいなと思って作っています。
力強い造形に華麗な彩色を纏った、奈良の都のお雛さま

―お人形は“顔がいのち”といいますが、神泉さんが作られる雛人形のお顔の特徴を教えてください。
神泉さん:
私の人形は、先々代から先代へと受け継がれてきた“神泉”の面長で上品なお顔と真っ直ぐな黒髪が特長です。「立雛(たちびな)」は先代のデザインをほぼ踏襲しています。「段飾雛」は“神泉”を崩さないように心掛けながら、少し今風な丸顔寄りにして、かわいらしさを取り入れています。
―「段飾雛」と「立雛」、どちらも素敵で目移りしてしまいます。もし、神泉さんご自身が選ぶとしたら、どちらにしますか。
神泉さん:
正直なところ、迷いますね。小さいお子さんは、お人形を並べていく感覚のある「段飾雛」がおままごとのようでお好きなのではないかと思います。しかし、大人になると「立雛」の美しい立ち姿や彩色のディテールを綺麗だと思うかもしれません。なかなか、決められそうにありません・・・。

―神泉さんの作品にはほかに「内裏雛(だいりびな)」もありますが、こちらはどのような雛人形なのですか。
神泉さん:
「内裏雛」というのは、「段飾雛」のお内裏さまとお雛さまだけを、あるいは三人官女までを取り出した雛飾りのことです。玄関先に飾ったりすると、シンプルで美しく、かわいらしいのではないかと思います。
―奈良一刀彫の雛人形の特長として、収納のしやすさを上げる方もいらっしゃいます。その一方で、小さなお人形で願いが叶うのかしら?と心配される方もいるかもしれません。お人形には決まったサイズがあるのですか。
神泉さん:
私は先代から、人形の大きさに特に決まったサイズはないと聞いています。人形の大きさやサイズの呼び方も、各人形作家や工房ごと、また関西風と関東風では違います。
今は、家族の形や暮らし方の変化で、和室がなかったりマンション暮らしだったりと、大きなお雛さまを飾れないことも多く、収納のスペースにも限界があります。「収納が簡単なこと」と「伝統的なもの」という二つの条件でお雛さまをお探しのお客さまが奈良一刀彫に出会い、「これを探していました!」と感激されるようなこともあるようです。

―お人形の取扱い方について教えてください。
神泉さん:
木は乾燥に弱いので、直接エアコンの風が掛かる吹き出し口の真下などは避けていただければ・・・。でも、それほど神経質にならなくても大丈夫です。ただ、濡れた布でゴシゴシ拭くのはお止めください。岩絵具で施された彩色が落ちてしまいます。
―お人形の並べ方や、飾る期間を気にする方もいらっしゃいますね。
神泉さん:
お雛さまが向かって右の関東風でも、向かって左の京風でも、その地域やご家庭の並べ方で大丈夫なようです。また、飾る期間についても、あまり神経質になる必要はないという考え方もあります。旧暦の雛祭りまで飾る方もいらっしゃいますし、最近では、一年中飾っている方も多いです。皆さんのルールで、大切に飾っていただけたらそれで良いのだと思います。
一彫りひと彫りに心を込めて、良い人形を作っていきたい

―女性職人が珍しいというようなことを含めて、職人さんの世界にはまだまだ男性社会だった頃の風潮が残っているのではないでしょうか。もし今の時代に、女性職人だからこそできる!と感じることがあったら教えてください。
神泉さん:
「自分に子供が生まれたらどのようなお雛さまが欲しいだろう?」などと考えることは、よくあります。お客さまと目線が近いということでしょうか。こうしたらかわいいなとか、感覚的なところで、女性の好きな形とか色味に気づくことができるところは長所かもしれませんね。
―今の人は、どうしても西洋文化の方に親しみがあると思うのですが、日本伝統の彩色を西洋風に変えてみようなどというお考えはありませんか。
神泉さん:
そうですね。着物などでもそうですけれど、若い頃は好きでなくても年齢を重ねることによって「いいな!」と感じるようになることってありますよね。ちょっと濃いかなと思う色味でも、そこが魅力だったり・・・。
自分たちの遺伝子の中には、日本の伝統的な色や柄を見てほっとするようなところがあると思うのです。そのような伝統を引き継いでいくのも、私たちの役目なのではないかと考えています。

―奈良という、日本文化の発祥の地で、このようなお仕事をされていることをどう感じますか。
神泉さん:
以前、東京からいらした旅行者の方が「都会で気持ちがトゲトゲした時に奈良に来ると、大事なことを忘れていたなぁと気づかされる」とおっしゃっていました。そういう意味では、奈良は大切なことを思い返すきっかけのたくさんある場所かもしれないですね。それに時間の流れがゆったりしています。7、8世紀に作られた寺社が身近にある環境がそう感じさせるのでしょうか。モノ作りをする上では、非常に恵まれていると思います。
―三代目神泉としての今後の抱負を聞かせてください。
神泉さん:
伝統を受け継ぐということは、型にはめることではありません。先人の想いを汲み取って芯の部分を引き継ぐことは大切ですが、今生きているのは自分たちです。現代の人の感性で良いと思ってもらえるものを作っていきたいと思っています。
工房には、先々代や先代が作った雛人形が修理に持ち込まれることがあります。そんな時、長い年月大切に飾ってくださったお客さまの深い想いを感じます。
もし私が良い人形を作ることができたら、100年後の人達に私の作った雛人形を飾ってもらえるかもしれません。これからも、良いものを作るために何が必要か、何が足りないのか、それを毎日考えながら、一彫りひと彫りに心を込めていきたいと思っています。

─一彫りひと彫りに想いを込めて仕事をする神泉さんからは、伝統を引き継ぎ、さらに高めていこうとする気構えがひしひしと伝わってきました。今日は貴重なお話を、ありがとうございました!

1988年 奈良県に転居
2006年 京都伝統工芸専門学校(現大学校)総合工芸コース 木彫刻専攻卒業
2006年 二代目神泉に師事(2010年まで)
2009年 奈良県展入選
2010年 工房神泉 工房頭 三代目神泉襲名