4月 ICHIDA’S COLUMN

『百貨店で変わり続けるもの、変わらないもの』
私が“お客様”という立場から、百貨店側に立ってイベントをさせていただくようになって、なによりびっくりしたのが、なんにもなかった空間に、一夜にして会場が誕生する、ということでした。魔法使いが杖を一振りしたら、かぼちゃが馬車に変わり、シンデレラ城が現れるように、百貨店の無機質な空間に、たちまちひとつの世界が立ち上がる様子を目の当たりにして、その圧倒的なパワーにただただ驚いたのでした。

2021年 3月3日(水)~3月16日(火)開催
新宿0丁目商店街「LE TEMPS」の設営一夜の秘密の動画
「暮らしのおへそ」という雑誌と「伊勢丹新宿店」がコラボして、『おへそ的、買い物のすすめ展』というイベントを始めることになったのは、今から8年前のことでした。(今は、このイベントは日本橋三越本店で行うようになりました)
百貨店の閉店時間近くになると、搬入口に出展者が集まりスタンバイします。閉店の音楽が鳴り、販売員さんが最後のお客様を深いおじきで見送ると、まずは現状の会場の取り壊しが始まります。バリバリ、ベリベリッと装飾を剥がして、何もない状態に。そこから今度は、「おへそ」の説明を綴ったパネルを貼ったり、什器を並べたり、それぞれのショップのオーナーさんが商品をディスプレイしたり。
現場には、私たちが普段会わないたくさんのスタッフさんも関わっています。背丈以上もある「おへそ」のポスターを手際よくシュッシュッと貼る職人さん、電気の配線をするプロ、机やディスプレイ台などを運んでくる人、通路幅など会場の安全をチェックする人……。
おへそ展が終わった日、また“あの人たち”がやってきました。1週間前に目にした光景が、今度は“去る人”となった私たちの前で繰り広げられます。おへそパネルはバリバリと剥がされ、照明は撤去されて、また元の状態に……。さっきまでお客様が写真を撮っていた会場が壊されていく様子に胸がつぶれるような寂しい思いをしたことをよく覚えています。
「お疲れ様〜」。充実感と高揚感でみんなが解散した後、「おへそ展」を担当してくれていたアシスタントバイヤー、原田陽子さんたちは、もう次の展示会の準備に取り掛かっていました。私たちはこれで終わりだけれど、百貨店のスタッフたちはずっと1年中この作業の繰り返し! なんて大変な仕事なんでしょう。
何もなかったところに、一夜にして「とある世界」を作り出す……。これこそ百貨店が百貨店たる所以なんだなあと思います。ある時は洋服、ある時はスイーツ、ある時はアート。まさに「百貨」と言われる取り扱いアイテムの幅広さの中で、「あれ」と「これ」を組み合わせ、モノと人の出会いの場を生み出します。時と共に消えては生まれ、また消えて。だからこそ、私たちは「今度は何と出会えるだろう?」とときめき、いつも新鮮な何かを見つけることができるのかも。どうやら絶えず変化し続けることが、百貨店の魅力のようです。

一方で、ずっと変わらないものもあります。「イチダさん、これ見てみて〜」と原田さんが教えてくれたのが、伊勢丹新宿店の入り口ドアにある孔雀のレリーフでした。実はこれはレプリカで、本物は目線を少し上げると、エントランス上部に見つけることができます。昭和8年に作られたもの。日本橋三越の象徴が、百獣の王ライオンであるのに対し、鳥のクイーンである孔雀が選ばれたのだとか。


屋上アイ・ガーデンへつながる階段
新宿に伊勢丹本店がオープンしたのは1933年のこと。アールデコ調の装飾をふんだんに取り入れた建物は、当時大きな話題となりました。原田さんが「今度はこっちこっち」と、連れて行ってくれたのは、屋上の「アイ・ガーデン」です。2006年に生まれたこの屋上庭園を、ご存知でしょうか?新宿のど真ん中にありながら、空が近くて、緑の木々に囲まれ、子供たちが走り回ったり、ちょっとお弁当を食べたり……。本当に気持ちのいい場所です。この屋上に出る少し手前の階段脇には昔ながらの「屋上」と書かれた金属の看板や、昭和10年〜11年ころに作られたという、白からベージュという上品な色合いのステンドグラスを見ることができます。時代の最先端を行く百貨店の影に、昔ながらの歴史の足跡が残されている……。それは、この店が多くのお客様に愛され、信頼し続けられた証なのだと思います。ぜひみなさんも、お買い物ついでに、探検に出かけてみてください。

「ファッションの伊勢丹」と呼ばれてきた伊勢丹新宿店は、みんなが「見たことがないもの」を見せてくれる舞台でもありました。1958年に、日本初のバレンタインプロモーションを行ったのもここ。1963年には、S,M,Lが普通だった婦人既製服に、5、7、……13,15号という号数体系を作り、誰もが「私にフィットする1枚」を選べるようになりました。1980~90年代になると、イギリスやフランスをはじめ、世界で話題になっていたブランドをいち早くキャッチしライセンス生産。若いクリエイターのコレクションを展開する「解放区」というフロアも話題になりました。

従業員だけが見られる事務所の壁の歴史

ポスターの年代&タイトル
1・1968(S43)春「ペンキぬりたて春の色」
2・1972(S47)秋冬「こんにちは土曜日くん。」
3・1973(S48)秋「友だちみつけよう」
4・1978(S53)秋冬「戻っておいで・私の時間」
5・1981(S56)新年「生活の、同級生」
6・1987(S62)秋「ISETAN FOR LIFE 夢は真っ直ぐ。」
原田さんが、昔の伊勢丹のポスターを見せてくれました。今のようにインターネットやSNSがなかった時代、ポスター制作はその年の流行や、さらには時代の世相の移り変わりを伝える一大プロジェクトだったそうです。たとえば1972年のポスターのタイトルは「こんにちは土曜日くん」。これは、週休二日制が取り入れ始められた頃。「その時、私たちの一週間はどのように変わるのだろう?」というワクワク感が伝わってくるよう。1987年は、私も大好きなイギリスのデュオ、スウィング・アウト・シスターが、1978年には竹内まりやさんがテーマソングを手掛けました。「毎年新しいポスターを発表するときは、百貨店をあげてのお祭り騒ぎだったみたいです」と原田さん。
私は取材で60代、70代のおしゃれの先輩たちに、この時代の話をよく伺います。まだ日本にそんなにおしゃれアイテムがなかった頃。「もっとおしゃれを知りたい!」と圧倒的な熱量で走り抜けてきた時代は、なんて刺激的でパワフルだったのだろう……と、時計を巻き戻して、見に行きたくなります。鋭いアンテナを持っていたごく少数の一部のおしゃれさんたちが、キャッチしてきたことを、より広くの人に伝える……。それが当時の百貨店の役目でした。


ちなみに原田さんが入社したのは、1989年。「いろんなブームがありましたね。みんなカシミヤの黒やベージュのコートにそろそろ飽きてきたかも……っていう頃に、イギリスの<マッキントッシュ>のゴム引きコートを紹介。『コートに色をつけましょう!』という提案で、赤や黄色やピンクのコートをずらりとそろえたんです。飛ぶように売れていました。たぶん、昔は流行の構造がわかりやすかったんですよね。『これ』って誰かが見つけてきたものに、みんなが反応する。私が20代、30代の頃は、周りを見たらみんな同じような格好をしている。それに乗り遅れちゃいけない、っていう空気感でした」。

でも……。時は移り変わり『みんな同じじゃイヤ!』という人が増え、「私の“素敵”は私が決める」と“個”が確立されてきました。特にここ数年はSNSで誰でもが発信できるようになり、価値観がどんどんと多様化し、百貨店の役目も少しずつ変わってきたようです。

そんな中で生まれたのが『新宿0丁目商店街』です。「突如現れた架空の街にこだわり店主たちが集います」というコンセプトで、注目したのは“人”。ビンテージ家具を集める人、おいしいパンを焼く人、小さなレストランのオーナー、ミシンを踏んで洋服を縫う人……。「こだわりの店主」が集めてきたモノの後ろには、その人たちが過ごしてきた時間がつながっています。そんな「時間」や「経験」までをここに集めたい……。
今回、何もない百貨店の空間に、一夜にして立ち上がるのは、誰も聞いたことがない物語です。ひとりの店主が、どうやってモノと出会い、どこを好きになり、どうやって暮らし、そこからどんな夢を描くのか。私たちは、ただモノを買うだけでなく、店主のたどってきた道に耳を傾け、ものを見る新しい目を知り、それを使って楽しむ時間を体験し、自分の生活をちょっと変えることができる……。それが、この商店街のいちばんのお楽しみ。百貨店のバイヤーやこだわりの店主やお客様が、立場を超えておしゃべりを交わしながら、互いに持っている「何か」を交換しあう……。競争の中で、誰かが一人勝ちするのではなく、こうした相互通行のコミュニケーションの中で、みんなが作用しあって生まれるものこそ、今いちばん新しい「お買い物のかたち」のような気がします。この架空の商店街の中で、これからいったい何が始まるのか、みんなで一緒に見届けてみませんか?

文 ・一田憲子さん
ライター、編集者として女性誌、単行本の執筆などを手がける。2006年、企画から編集、執筆までを手がける「暮らしのおへそ」を 2011年「大人になったら、着たい服」を(共に主婦と生活社)立ち上げる。著書に「日常は5ミリずつの成長でできている」(大和書房) 新書「暮らしを変える 書く力」(KADOKAWA) 自身のサイト「外の音、内の音」を主宰。http://ichidanoriko.com
写真・近藤沙菜さん
大学卒業後、スタジオ勤務を経て枦木功氏に師事。2018年独立後、雑誌、カタログ、書籍を中心に活動中。