これまでの暮らしや価値観の大転換を迎えた2020年。変遷を続ける社会の中でフードを届ける方たちの展望を徹底取材。 食から豊かな将来への期待が膨らみます。
※写真右から
<銀座 松﨑煎餅>松﨑宗平さん
1978年生まれ。グラフィック・ウェブデザインの仕事を経て、<銀座 松﨑煎餅>に入社。コンセプトストアの立ち上げや本店リニューアルなど、「今」に合う煎餅屋を目指している。
<wagashi asobi>稲葉基大さん
1973年生まれ。<虎屋>を経て、2011 年に<wagashi asobi>を設立。大田区上池台のアトリエを拠点に、NYやパリなどにも和菓子の魅力を発信。著書に 『わがしごと』がある。
<虎屋>黒川光晴さん
1985年生まれ。2008年米・マサチューセッツ州バブソン大学経営学部卒業。 同年<虎屋>入社後、東京工場で菓子製造に従事。パリ店勤務などを経て、’20年 6月、18代目当主に。
<空也>山口彦之さん
1979年生まれ。会社員を経て2006年<空也>に入社。現在5代目。’11年には新業態ブランド<空いろ>を始動。お菓子とお酒を愉しむイベント「アンコマンないと」主宰。
未来の食のコト。
“あたりまえ”の積み重ねが道を作る。
伝統と革新が息づく和菓子の世界。新しい生活様式が求められる中、どう舵を切るのだろう。 日頃から和菓子の魅力を発信する4人に尋ねた。
[松﨑]
4人で仕事について語るのは初めてだよね。いつも遊ぶ話しかしてない(笑)。
[稲葉]
『ISETAN The Japan Store PARIS』(2014〜15年・期間限定出店)で山口さんと音楽談義に花が咲いたのが、始まりでした。
[山口]
帰国後、宗平さんを巻き込み「アンコマンないと」を開催するようになって。
[稲葉]
光晴さんも誘って。
[黒川]
はい。松﨑さんとは家族ぐるみの仲ですし、山口さんともお付き合いがありました。また、「おいしいものを作りたい」という志も共通している。このコロナ渦において、時代を超えて愛されるものを打ち出す大切さを痛感しています。当社で例えると「夜の梅」は200年前からつくっています。技術と原材料ともに安定しているため、いつでもお客さまにお届けできる。トレンドの一品ばかりを打ち出すスタンスだと、時代に翻弄されかねない。単調かもしれませんが、丁寧に餡を炊き、手間暇惜しまず羊羹をつくる。その積み重ねがあるからこそ、アレンジも利くようになると思っています。
黒川光晴さん
[松﨑]
有事の際に強いのは、筋が通っているものです。弊社の根幹は「大江戸松﨑 三味胴」ですが、僕の入社時には売り上げの5%程度でした。看板をもっと大切にしようと切り替えて、現在では30%ほどに伸びました。非常時を迎えた今、いっそう理想に忠実でありたい。また、地域に根ざした店であるのも重要。緊急事態宣言の発令中に<空也>さんの強さを見ました。銀座で毎日もなかを作って売り切れるって、本当にすごいこと。
[山口]
<空也>のお菓子を愛してくださる方の期待に応えたい一心で店を開け続けました。少し話は飛躍しますが、2016年に<空いろ>の仕事で九州へ向かう途中に熊本地震が発生。数日後、被災地へ入り、どら焼きなどを避難所に差し入れしました。そうしたら、皆さんが嬉しそうに食べてくださって。人の心を温かくするお菓子の力を、目の当たりにした瞬間でした。そんな経験もあって、コロナ渦においても心の安らぎを提供できる仕事として菓子屋を営業し続けました。
[稲葉]
誰かの幸せの一助になるというのは、店や職人のあるべき姿ですよね。僕が手がけるのは「ドライフルーツの羊羹」と、「ハーブのらくがん」の2種です。10年を経た今、形態のコンパクト化を進めています。店を構える大田区上池台に溶け込んだ存在でいたいので。そうして僕らが作るお菓子を支持してくださる方に、寄り添っていきたいと思っています。
稲葉基大さん
[稲葉]
僕は<虎屋>さんで和菓子づくりのいろはを教えていただいた後に、<wagashi asobi>を創業しました。全力投球の10年を経たいま、何百年も事業を続ける偉大さが身に沁みています。数有る老舗の中でも名店とよばれるお店を率いている皆さんは、生まれた頃から継ぐことが決まっていたのですか?
[黒川]
幼い頃から<虎屋>が好きで、ずっと職業として携わりたいと思っていました。自分は長男なので、祖父からは継ぐことをほのめかされていました。そして、虎屋で働く父に姿に憧れており、父のようになりたい気持ちも強かった。社会人になった瞬間にお菓子を作りたい!という想いと共に菓子づくりの現場に入りました。当時、職人として腕を磨かれていた稲葉さんにはいろいろと教えていただきましたよね。
[稲葉]
音楽の趣味も近く、仕事以外にもいろいろお話ししました。
[松﨑]
両親から後継者への打診を受けぬまま、デザイナー業とバンド活動に精を出していました。前職で昇格する話が浮上したのを機に、父に<銀座 松﨑煎餅>へと入る相談しました。きっと心の奥底で使命感があったんでしょうね。振り返るとデザイン事務所の社長に「多分どこかのタイミングで辞めます。デザイナーとしてのテクニックよりも少数精鋭を束ねる代表として、どうあるべきかを教えてほしい」と、伝えていました。入社当時の社員数は10人程度でしたが、退職する頃には40人くらいにはなっていた。その過程を目の当たりにできたのはいい経験でした。おかげで、社長業のノウハウも少し身に付いた気がしています。
松﨑宗平さん
[山口]
僕も家業を継ぐように云われること無く、大人になりました。そもそも、<空也>は山口家が創業した店ではなく番頭だった曽祖父が後継の居なかった初代の意志を引き継いだ店です。そうして続いている菓子屋でして、父は「店を継ぎたい子がいなければ畳んでもいい」という無理に継がせないスタンスでした。ただ、幼い頃からぼんやりと頭の片隅にありましたね。姉が二人の末っ子長男でしたので。僕としては<空也>を受け継ぐつもりで進学や就職を決断してきました。また、光晴さんと同じく製造の現場で働いた時期もあります。経営者としても現場を少しでも知り、同じ目線で職人と話をしたかったので。その経験が他の仕事にも繋がって、広がりを見せている面もたくさんあります。個人的にはどの活動も歴史を繋ぐ一区間を走っている感覚です。
山口彦之さん
[松﨑]
父と二人三脚の日々が続いています。とはいえ、父は僕の提案には口出しをせずに共感してくれているのですが。息子からすると共有しておきたい気持ちもあるんですよね。心強い味方がそばにいてくれるのは、後継者の醍醐味かも。欲を言えば、祖父とも仕事をしてみたかったなぁ。けっこう僕は似ていると思っているんです。
[稲葉]
老舗たるゆえんがよくわかりました。皆さん、なるべくしてなったんですね。
[松﨑]
2020年に暖簾を守っている者としては、環境へ配慮した煎餅も打ち出したい。みんなにやさしい方がいいですよね。
[黒川]
世界中の人にもっと和菓子が浸透してほしい。たとえばアフリカの方が小形羊羹を召し上がりながら歩く姿を想像したら、ワクワクしませんか? 伊勢丹新宿店で展開する<ピエール・エルメ・パリ>とのコラボレーションは、その一歩です。
[山口]
おいしさとともに五感で幸せも得られるモノ・コトを提供していきたいですよね。“和菓子”の固定観念を崩すべく、これからも<空いろ>やイベント、コラボレーションを通じて仕掛けていきますよ。一方で<空也>は、昔ながらのスタイルを守り続けていきたいです。
[稲葉]
“和菓子”“洋菓子”と区分されないようになりたい。その想いを込めて<wagashi asobi>と名付けている部分もあります。挑戦を繰り広げる環境があってこそ、ムーブメントが生まれますからね。それに刺激を受けた若い人が増えてくれると嬉しいですよね。
1819年に誕生した<虎屋>の看板商品、小倉羊羹「夜の梅」(竹皮包)3,024円。切り口の小豆を夜の闇に咲く梅に見立てた。
三味線の胴の形からその名が付いた瓦煎餅。 季節ごとにデザインが変わる。
<銀座 松﨑煎餅>大江戸松﨑 三味胴 8枚入り1,080円。
<wagashi asobi>ドライフルーツの羊羹 2,301円。
※9月9日(水)〜10月31日(土) の毎週水曜日と土曜日、各日30本限り。
もっと自由に楽しもう!というコンセプトで生み出された<空いろ>の一品。
※つながるFOODIEミーティングで提供。
写真黒川ひろみ スタイリストchizu フード 尾身奈美枝 文松岡真子
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