三越伊勢丹 名画版画コレクション Vol.9
横山大観「神州第一峰」(右隻・左隻)彩美版®美術複製画

三越伊勢丹 名画版画コレクション Vol.9 横山大観「神州第一峰」(右隻・左隻)彩美版®美術複製画

激動の昭和の時代に近代日本画壇を牽引し、日本の魂を描いた巨匠・横山大観氏(1968-1958)の代表作「神州第一峰」(右隻・左隻)彩美版®美術複製画作品をご紹介いたします。

横山大観「神州第一峰」(左隻)彩美版®美術複製画

横山大観「神州第一峰」(左隻)彩美版®美術複製画
技法:彩美版®、シルクスクリーン併用
制作数:150部
イメージサイズ:約 35×79cm
額サイズ:約 58.4×122cm
価格:275,000円

横山大観「神州第一峰」(右隻)彩美版®美術複製画

横山大観「神州第一峰」(右隻)彩美版®美術複製画
技法:彩美版®、シルクスクリーン併用
制作数:150部
イメージサイズ:約 35×79cm
額サイズ:約 58.4×122cm
価格:275,000円

横山大観筆「神州第一峰」 細野正信氏(美術評論家)

大観には山の絵が多い。その理由を聞かれると、彼は「山登りが好きで・・・」と答えたという。ただその山は、赤城や妙義であったり、箱根であったり、過去に見た山が渾然一体となって脳裏に現れ、それを恰好よく描くのだという。いわば記憶の中の愛すべき山である。

この方法は、フェノロサの指導に発している。フェノロサは、絵画の真髄は古名画の精神に学べという。これはもともと、彼の信奉するヘーゲル美学に発している。ヘーゲルは「錯綜する現象世界に理念(精神の現実態)を直感せしめることこそ芸術の使命」という。

ここから古名画の技法・構成などをすっかり記憶して後、何を表現しようとしているのか、その精神を我が物として後描く方法が生まれた。

東京美術学校初代教授橋本雅邦は、 それを「心持」と言い換えて教えた。しかし学生にはなおピンと理解できず「心餅より餡コロ餅」などと混ぜ返す者もいた。しかしこの頃、明治35年、大観はアメリカの友人カーチスと立山に登り、雲海の彼方の富士に感動し、天心の写実を目的とせよとの方針転換に従って富士を写実的に描いている。その富士画はハーヴァード大学にあったが、今は寄託が解除され行方不明となっている。

横山大観「神州第一峰」(左隻)

横山大観「神州第一峰」(左隻)

昭和2年彼は、中国の宋元水墨画と大和絵(特に琳派)を融合して、民族的新境地を開拓するのがこれからの使命といっているが、東京美術学校の洋風教育に反発、また時局柄もあり、精神主義を打ち出す。「有形の物象を借りて無形の霊性を象徴する」というのがそれで、俄然富士山がアピールされる。

それも伊豆の達磨山から見た富士が、 宝永山が隠れて理想的形とされ、大観富士の原型となる。それは同時に国体の象徴であり、まつわる雲は暗雲低迷の時局を暗示し、旭日は悠久の未来を意味した。

そして右に連なるのは箱根連山の現実世界を意味した。 空は金泥に輝きいま新しい朝が明けたのである。

横山大観「神州第一峰」(右隻)

横山大観「神州第一峰」(右隻)

彩美版®とは
「彩美版®」は共同印刷株式会社の登録商標です。長年の経験により培われた画像処理技術を元に、厳選された素材に高精度デジタルプリントを施し、画材の質感と豊かな色調を再現した共同印刷の美術複製画です。
一枚一枚に職人によるシルクスクリーンを施し豊かな色彩や筆遣いといった原画の持つ鼓動までも表現しています。
半世紀以上にわたり複製美術品の制作を続ける共同印刷の「彩美版®」は、業界屈指のブランドとして、多くの美術愛好家に支持されており、美術関係者からも高い評価を得ています。

額裏面には、限定番号と著作権者の承認印が押された奥付シールが貼付されます。

原画所蔵美術館のご案内

公益財団法人 足立美術館(ADACHI MUSEUM OF ART)
所在地 〒692‐0064 島根県安来市古川町320
電話 0854-28-7111
詳細はホームページ等にてご確認ください。

関連美術館のご案内

公益財団法人 横山大観記念館(YokoyamaTaikan Memorial Hall)
横山大観の「私の死後この地を個人財産としてでなく、公的な財産として日本美術界のために役立ててほしい」との意思にもとづき、昭和51年より大観邸を財団法人横山大観記念館として公開しています。大観がこの地に住み始めたのは明治41年のことです。昭和20年の空襲で、大正8年に建築した家は焼失しましたが、その土台を生かし、昭和29年に新居を再建し、89歳まで没するまで、大観はここで多くの作品を制作しました。

公益財団法人 横山大観記念館(YokoyamaTaikan Memorial Hall)
所在地 〒110‐0008 東京都台東区池之端1-4-24
電話 03-3821-1017
詳細はホームページ等にてご確認ください。

横山大観「神州第一峰」(右隻・左隻)彩美版®美術複製画
仕様体裁

技法:彩美版®、シルクスクリーン併用
制作数:150部
額縁:特製木製額縁アクリル付
イメージサイズ:約 35×79cm(特25号大)
額サイズ:約 58.4×122cm
重さ:約 6.1㎏
監修:横山 隆氏(公益財団法人 横山大観記念館館長)
解説:細野正信氏(美術評論家)
原画所蔵:公益財団法人 足立美術館

横山大観「神州第一峰」(左隻)彩美版®美術複製画

横山大観「神州第一峰」(左隻)彩美版®美術複製画

横山大観「神州第一峰」(右隻)彩美版®美術複製画

横山大観「神州第一峰」(右隻)彩美版®美術複製画

横山大観 Taikan Yokoyama(1868~1958年)

横山大観 Taikan Yokoyama(1868~1958年)

1868年 茨城県水戸市に生れる。本名秀麿。
1889年 東京美術学校に第一期生として入学。
1893年 東京美術学校を卒業。
1896年 東京美術学校図案科助教授となる。
1898年 美術学校騒動。 校長岡倉天心らとともに辞職し「日本美術院」創立に参加。
1904年 天心、春草らと渡米。各地で作品を展覧。
1905年 米国より欧州に渡り、各国を回って帰国。
1906年 日本美術院、茨城県五浦に移転。春草・下村観山らとともに一家で移住。
1907年 第一回文展開催に際し、審査員を務める。
1909年 上野・池之端に新居を構える。
1913年 天心が逝去し、観山らと日本美術院再興を計画。
1914年 東京谷中に日本美術院を再興し、 経営者・同人となる。再興第一回院展を開催。
1930年 ローマ日本美術院展開催。美術使節としてイタリアを訪問。
1931年 帝室技芸員となる。
1932年 この頃、「神州第一峰」を描く。
1935年 改組帝国美術院会員となる。
1937年 帝国芸術院会員となり、第一回文化勲章受章。
1958年 逝去。正三位勲一等旭日大綬章を追贈される(享年89)

彩美版®美術複製画シリーズ

 

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