三越伊勢丹 名画版画コレクション Vol.16
近代日本画壇の巨匠・平山郁夫(1930-2009)の代表作・日本の古都シリーズの中から「月華厳島」彩美版®の美術複製画作品をご紹介いたします。
平山郁夫「月華厳島」彩美版®美術複製画のご案内
※共同印刷株式会社発行のパンフレットより
風光明媚な景観、日本三景の一つ「宮島」
江戸時代から親しまれている日本の景勝地「日本三景」。松島(宮城県)、天橋立(京都府)、宮島(広島県)は、いずれも人々を魅了してやまない美しい自然風景です。「月華厳島」の舞台であり、「安芸の宮島」として親しまれている信仰の島には、白い砂浜、宮島の最高峰「弥山」の原生林(天然記念物)や、「くぐり岩」などの奇岩の数々があり、原始の自然の世界を残します。
古より続く歴史ある厳島神社
「厳島神社の創始は6世紀の推古天皇の御代に遡ると伝えられ、日本有数の歴史を持つ神社である。(中略)平安期において、安芸守でもあった武将平清盛の権勢によって規模を拡大し整備されている。位を極めた清盛が平家一門の永遠の繁栄を祈願し、奉納したのが「平家納経」(国宝)であった。」
(付属の解説より一部抜粋)
時代は下って江戸時代になると交易の中継基地として栄え、明治時代になると交通の発達とともに観光客が訪れるようになりました。そして平成8年(1996年)厳島神社は、その日本文化を伝える貴重な建築物や、島全体の文化的景観が評価されて世界文化遺産に登録されました。
平山郁夫画伯と瀬戸内海の島々
平山郁夫画伯は広島県、瀬戸内海の生口島で生まれ、自然豊かなこの島で海を見ながら育ちました。この生まれ故郷の生口島にある生口神社と、厳島神社は深い関係があるといわれ、美しい瀬戸内海の風景の中で過ごした幼い頃の記憶が、後の創作活動にも息づいています。
平山郁夫芸術の神髄、幻想的な青の世界
厳島神社は海と陸の境に建てられているため、潮が満ちるとあたかも海に浮かんでいるようになります。本作品は正に月夜に潮が満ちて静寂に包まれた聖域が描かれています。全体は群青の色彩にまとめられています。その青は深いものから浅いものまで、大変貴重な岩絵具が使われ、この神秘の青い世界が産み出されました。真に平山郁夫画伯の真骨頂である群青の美しい世界がいかんなく描かれています。また回廊に沿って点々と連なる灯籠の光は温かみを感じる金色で描かれ、見る者を奥へ奥へと導き、幻想の世界へと誘います。
「平山画伯は、長い長いシルクロードの道のりの後、やはり日本美の原風景へ回帰した。源流である西域の道をたどるほどに、日本文化への愛着は強まったに違いない。その祖国を想う 心の結晶がこの「月華厳島」である。」
(付属の解説より一部抜粋)
彩美版®とは
「彩美版®」は共同印刷株式会社の登録商標です。長年の経験により培われた画像処理技術を元に、厳選された素材に高精度デジタルプリントを施し、画材の質感と豊かな色調を再現した共同印刷の美術複製画です。
本作品ではさらに一枚一枚に職人の手刷りによるシルクスクリーンを施すことで、作家の豊かな色彩や筆遣いといった原画の持つ鼓動までも表現しています。
半世紀以上にわたり複製美術品の制作を続ける共同印刷の「彩美版®」は、業界屈指のブランドとして、多くの美術愛好家に支持されており、美術関係者からも高い評価を得ています。
平山郁夫「月華厳島」彩美版®美術複製画
仕様体裁
<同時販売>
平山郁夫「光燿厳島」彩美版®美術複製画
仕様体裁
輝き満ちる、命の根源
群青を主体とした「月華厳島」という名作がある。先生には必ずと言っていい程、もう一点 対になる作品が存在する。その作品が「光燿厳島」である。シルクロードの駱駝の作品もそうあるように、東へ向かう行きの作品は群青に彩られているが、西へ向かう回帰の作品は、対照的に金茶色で描かれている。厳島の作品も力強く生きていこうとする月華厳島は群青で描かれているが、金色を橋渡しに、先生の死生観を表すもう一方の光燿厳島は、赤と緑で 表現される。(中略)人は「赤」ん坊として生を受け、「青」年へと成長していく。宇宙を見据えた群青の世界から、赤は被爆経験から得た死の世界であり、緑はそれを力強く乗り越えていった生の世界である。先生の人生の中で、生死の狭間を乗り越えて生き抜いてきたエネルギーを秘めた、「光燿厳島」こそが先生の中で最も高く評価される作品である。
(宮廻正明氏「光燿厳島」作品解説より抜粋)
美術館のご案内
公益財団法人 平山郁夫シルクロード美術館
(Hirayama Ikuo Silk Road Museum)
公益財団法人 平山郁夫シルクロード美術館はシルクロードの文化と歴史の顕彰に努めた平山郁夫画伯の絵画と、シルクロードの文化と歴史に関る美術品の展示をしています。
平山郁夫 Ikuo Hirayama(1930~2009年)
1930年 広島県豊田郡瀬戸田町(現・尾道市瀬戸田町)に生まれる。
1952年 東京美術学校日本画科卒業。前田青邨に師事。
1953年 再興第38回院展に「家路」を出品し初入選する。
1964年 日本美術院同人に推挙される。
1987年 再興第63回院展出品の「画禅院青邨先生還浄図」で内閣総理大臣賞を受賞。
1988年 ユネスコ親善大使に任命される。
1989年 東京藝術大学長となる。
1991年 フランス政府より芸術文化勲章コマンドール章を授与される。
1993年 「月華厳島」「光燿厳島」を制作。文化功労者として顕彰される。
1996年 日本美術院理事長に就任。来日中のシラク・フランス大統領よりレジオン・ドヌール勲章を授与される。
1997年 広島県尾道市瀬戸田町に平山郁夫美術館が開館。
1998年 文化勲章を受章。
1999年 日本人として初めてジェームズ・スミソン賞を受賞。
2000年 薬師寺玄奘三蔵院「大唐西城壁画」完成。
2001年 東京藝術大学長に再任。(2005年退任)
2004年 山梨県北杜市長坂町に平山郁夫シルクロード美術館が開館。
2007年 喜寿を記念し、回顧展「平山郁夫祈りの旅路」展が開催される。
2008年 北京・国立中国美術館で「平山郁夫芸術展」、バリ・三越エトワールで「平山郁夫シルクロード展」が開催される。
2009年 12月2日、ご逝去。享年79。