きもの 粋に着こなす<竺仙>第四弾

きもの 粋に着こなす 竺仙 第四弾のメインビジュアル

きものにまつわる“ものづくり”のウラ話。技術と伝統、想いや志、未来への継承、創作風景や工房の様子。作り手の人柄が見える質問も織り交ぜて、粋にきものを楽しむヒントになる、ものがたりをお伝えします。

  • 竺仙のロゴ画像

    ゆかた・江戸小紋<竺仙>

    天保年間(1842年)創業。ゆかた・江戸小紋・風呂敷・手拭のことなら<竺仙>へ。戦後、浅草に店舗を構え、初代からの信条を強固な芯として技術、カラーを継承。その持味が世間の評判を買い百貨店、呉服店から声がかかり日本橋に移転。現当主も先代からの能衣装、古代紋様に加えて正倉院紋様、宗達・光琳の創作再現に積極的に意を注いでいる。

株式会社竺仙 小川社長にお伺いしました

小川文男のプロフィール画像
小川 文男
株式会社竺仙 代表取締役社長
1947年生まれ
大学卒業後、大阪にて3年間修業したのち、26歳で株式会社竺仙に入社。
1993年 代表取締役社長(五代目当主)に就任

株式会社竺仙とは?

江戸時代から続いているメーカー・卸・小売の会社です。江戸時代のころは物を売るために物を作らなければいかず、その3つが合わさったものとなっていました。
明治以降、日本の産業がメーカー・卸・小売と産業を区分けされ、はじめのころは「なぜ竺仙は小売りしているのか」との意見もありました。お客さまが品物を買って土地に戻り、その土地で素敵なものだと評価され、各地の専門店さんが商品を売りたいとの意向があり、商品を卸し小売をしています。

竺仙の店舗画像

浅草にお店があった当時、三越さんの社長に「遠いところにいないで日本橋に出ておいで」と言われ、祖父の代に小舟町に移転しました。かなり思い切った決断が必要だったと思います。
当時、小舟町は「かつおぶし」屋さんが両側・後ろと軒を連ね、築地場外市場の延長のような場所でした。周囲一帯がいちばの雰囲気の中で、よく呉服屋をはじめたなという感じでした。

<竺仙>のこだわり、竺仙鑑製の「鑑」の字に表す覚悟

ゆかたと小紋をやっていますが奥が深いです。
型紙一つとっても、作る前には図案を制作します。図案の線の一本を引くところから、私たちのお願いによって職人さんが動いてくださり、できあがった図案から型紙になり、その型紙を使って職人さんにお願いをして染めていただき、商品ができあがります。そのすべての工程に<竺仙>が関わっています。

竺仙鑑製の画像

口型に竺仙鑑製(かんせい)と書かれていますが、鑑製とあることでどこにも責任の所在をもっていけません。工程すべてを管理し、商品の行くすえまで管理をするのが<竺仙>のやり方です。

商品を創り出し、なくなるまで責任を持たなければいけません。7月になるとセールがはじまり、ゆかたが値下げとなりますが、その際は店頭からお品物を引き下げます。商品自体の価値を損ねることのないように商いを行い、残ったものなども含め最後まで責任を持ちますので、ある意味非常に厳しいです。

最後の1点まで販売をする、メーカーであり、卸もやり、小売もやっているところはなかったと思います。100%売れるということはないので、世の中に創り出したものに責任を果たすのが<竺仙>の特徴です。

本年の<竺仙>のテーマ“江戸のしみず

江戸のしみずの画像

日本文化は明治時代に欧米文化が入り、それ以前のものが否定されてきました。欧米文化が日本の近代化を促進するとされてきました。日本人の本来持っている文化性は江戸時代で終わってしまいましたが、江戸時代に創業し、その土地の風俗・文化を取り入れて創業したため、その感覚を持ち続けています。

本物というものがなくなりつつある中、『本物の江戸』というものを未だにしみずのように伝え、それを基として新しいデザインをおこしていくという思いを込めて、『江戸のしみず』としました。

:地面・岩間などからわき出る、澄んだきれいな水のこと。

小川社長へのインタビュー

─趣味・特技はなんですか?

邦楽(歌)、以前は洋楽もやっていました。今は邦楽の先生のご都合もあり卒業気味です。以前は、三越劇場の舞台にも立ちました。

─好きな食べ物はなんですか?
ここ一番!のお仕事をする際の勝負飯、または終わった後のご褒美飯を教えてください。

すきやき。日本橋でもいいお店があります。

─日本橋でのおすすめランチスポット・お気に入りの場所を教えてください。

日本橋周辺にはたくさんの飲食店がありますが、どちらかといえば日本食が好きです。

─生まれ年を教えてください。

1947年(昭和22年)は、ベビーブームで同級生も多く、競争が激しい年代でした。受験なども過熱し、人のことまでは構っていられないような状況でした。

─今のお仕事に就かれるまでの略歴を教えてください。

卒業後、大阪の某百貨店にて3年間外商部にて修行。昭和45年の好景気の真っただ中、ドアコールでお客さまの開拓をしました。奈良市生駒山までが担当となり、土地勘のない場所で坂道が多く、盆地の暑さの厳しい環境に置かれました。

仏像が好きだったので、名物裂を使った和装小物や掛け軸といった工芸品、美術部や呉服部の関わりの深いお品物をご紹介していました。その後、竺仙に入社しました。
大阪時代のお客さまと今でも縁が繋がっています。

─お客さまに<竺仙>のお品物を楽しんでいただくポイントを教えてください。

テーマによって多少は変わりますが、20年~30年しても古めかしさを感じないのが<竺仙>の良さです。
ゆかたのデザインをおこすときに考えているのは、人の顔立ち、身長や体つきを柄の中にいかしていくこと、肌の色に合わせた色で染めることです。背の高い方に小さい柄の繋がりを描くとうるさく感じますし、バランス良くデザインをレイアウトしていくことを意識しています。変化があるとしたらそのあたりですので、長く楽しんでいただけます。

─これからの<竺仙>について、どのような未来を描いていますか?

ゆかたや小紋といった狭いジャンルの中で商品・デザインの展開をしていますが、昨今はホテルの部屋のインテリアに使いたいとの依頼があったり、案内表にも使われたりとデザインの幅が広がっていると思います。
ホテルのインテリアに使用するには、生地も含めた展開があり、ゆかたや小紋に留めておくにはもったいないと感じています。西陣の帯などがファッションショーに取り上げられますが、提供する側としてもさまざまな分野に使ってもらえたら楽しいものになると感じています。

小川 文男の画像

─これからの呉服業界に期待することを教えてください。

より楽しい、より生活の充実感を味わっていただくためにどうしたらよいかを考えています。
本当に必要なもの、本当に楽しいこと、本当に自分に似合うものは何か、皆さま考えていらっしゃると思います。その方たちに求められるものづくりが必要なのではないでしょうか。
お客さまご自身がそのゆかたを着てどのように見せたいか、それによって選ぶ柄が変わりますので、アドバイスができるようにお話を伺うことが大切ではないでしょうか。

「現代の名工」浅野 榮一の手付手染江戸小紋のご紹介

浅野 榮一のプロフィール画像
浅野 榮一
1946年 江戸小紋型染師として著名な浅野 康の長男として生まれる。
16歳で更紗染めの名人三代目更勝の許で修業したのち、20歳で父の許に帰り小紋染めでも縞柄の道に。
2007年 現代の名工 卓越技能賞 受賞
2008年 黄綬褒章 受章

1.地張り

7mの長板に適度な水分を与えます。
白生地を地張りします。水分を得た長板にはあらかじめ糊が染み込ませてあり、生地目を真っ直ぐに、ピッタリと張り付けられます。

  • 白生地を地張りしている画像

    地味ではありますが、型染小紋の染め工程で基本の大切な作業です。

2.糊置き

いよいよ型を手付けする工程です。型紙の上から防染糊を置いていきますが、ヘラを縦に糊置きすることが縞柄を染める際の特徴です。
型継ぎに注意して糊を置き、型紙をずらす作業を繰り返します。型のつなぎめを合わせる瞬間には息を止めるといいます。

  • 糊置きの画像

    和紙でできた型紙は湿度の影響を受けやすいため、途中、口に含んだ水を霧状にかけることで型紙の伸縮を防ぎます。
  • 糊置きの画像

    <竺仙鑑製>の口型をつけ、糊を乾かします。残りの半反、同じ作業をして一反(12m)の糊置き終了です。

3.しごき染め

江戸小紋はしごき染めです。糊状の染料をヘラで生地に塗ります。これを「しごき染め」といいます。染料が均等に混ざり、より滑らかなしごき糊になるように裏ごしをします。

  • しごき染めの画像

    しごき糊を試験生地につけて、蒸気にあててみます。そこで蒸した状態の色で、実際の染め上がりの色を判断します。
    糊置きの終了した生地をしごき台に移し、しごき糊をヘラでしごいていきます。生地のしごき糊がお互いつかないように、表面におが屑をまぶします。
  • しごき染めの画像

    しごき終わった反物を蒸し箱に入れ、染料を定着させます。(季節や湿度、柄や色にもよりますが5分程度)
  • 水洗いしている画像

    防染糊としごき糊を落とすため、洗い場で水洗いします。
  • 反物を乾燥している画像

    染め上がった反物を工房内に張り、乾燥させます。

4.地直し

江戸小紋の染工程で最も技術を求められる作業です。手付けの小紋染には必ず型癖や型継ぎが現れます。それを職人の手で修正します。「地直しができたら一人前」といわれる根気のいる仕事です。

  • 地直しの画像

    染め上がり後、湯のし、検反の終わった反物です。

「現代の名工」浅野 榮一さんにお伺いしました

─好きな食べ物はなんですか?

食べることが好きなので、何の食べ物でも好きです。特にお酒!ただ身体を壊してからは、ほどほどにしています。


─ここ一番!のお仕事をする際の勝負飯、または終わった後のご褒美飯を教えてください。

仕事終わりに飲む1杯のビールが至福のときです。

─お住まいの茨城県のお気に入りの場所を教えてください。

茨城といえば「筑波山」、そして趣味の釣りで訪れていた「霞ヶ浦」がお気に入りです。

─趣味・特技はなんですか?

以前は釣りが趣味でした。若い頃は仕事の合間に霞ヶ浦に釣りに出掛けて、呼び戻されることもありました。
今は、自宅前にある畑(約300坪)で季節の野菜などを育てていて、近隣の方にお配りすることが楽しいです。今の時期だと、にんにくや大根、ねぎなどを栽培しています。

─生まれ年を教えてください。

77歳の喜寿になりました。

─今のお仕事に就かれるまでの略歴を教えてください。

若い頃は、更紗染めなどの工場で修業をしていました。仕事の傍らバンドを組んで、ギターとエレクトーンを担当していました。

─弟子入りをしてから一人前の職人になるまでの修業期間は、どの位必要ですか?

何を染めるかによっても変わってきます。
私も62年間職人をしていますが、まだまだ勉強の日々です。縞の染めは難しい。逆に年数を重ねて染められなくなってくる縞もあります。

唐桟縞は1反の中に2~3色の縞の色を重ねるため、糊が変化する前に素早く染めなければならない。糊も生きているから、その日の湿度、温度で変化していきます。夏の暑い日などは、糊の変化が早いため、染め上げるのが難しくなってきています。

─「いい仕事ができた」という実感があったのは何歳のときですか?

34歳で縞の染めを始めましたが、77歳の今でも作品に100点が付くときはないです。職人は一生勉強です。

─型付け後に目が疲れたときのリフレッシュ方法はありますか?

目が疲れることはないが、リフレッシュしたいときは自宅前の畑の草を無心で抜きます。

─お客さまに浅野さんの作品を楽しんでいただくポイントを教えてください。

縞の江戸小紋は反物で見るとき、反物を広げて見るとき、仕立て上がって来たとき、同じ縞でも雰囲気がまったく違います。一番、縞の良さを楽しめるのは、袖を通して着ていただくことです。

─これからの呉服業界に期待することを教えてください。

一人でも多くの人にきものを着てほしい。まずは、ゆかたから始めて次にきものにチャレンジしてほしいです。

竺仙の店舗画像
株式会社竺仙
〒103-0024
東京都中央区日本橋小舟町2-3
電話03-5202-0991
呉服の店舗画像
呉服
匠の伝統技が際立つ美しく格式高い日本の文化を継承するきものから、モダンなファッションきものまで、着こなしの楽しさを提案。
工芸作家の作品や老舗の逸品を取り揃える「特選呉服」、おしゃれのコーディネートをご案内する「趣味のきもの」、正式な茶席や気軽なお茶会に合わせた「お茶事のきもの」、ファッションのように和装を楽しむ「華むすび」のほか、男物きものや和装小物、和雑貨も充実。「プロモーションスペース」では、歳時記、旬のアイテムをご紹介します。

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※諸般の事情により予告なく変更・中止させていただく場合がございます。
※必ず事前にホームページを確認してからご来店ください。


日本橋三越本店 本館4階
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