茶陶名窯探訪 -其の参- 楽焼・昭楽窯

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茶碗や水指をはじめ、茶の湯にはかかせない陶器「茶陶」の数々。伝統やしきたりを重んじつつ、作り手の感性や思いが込められた茶道具は、茶の湯の世界だけでなく現代人の日々の暮らしを心豊かなものにしてくれています。
「茶陶名窯探訪」シリーズでは、全国各地にある陶器窯元の中から、多くの茶人に親しまれている茶陶窯元をご紹介いたします。

第三回となる今回は、京都で四代続く楽焼の窯元「昭楽窯(しょうらくがま)」をご紹介します。

  • 佐々木家(昭楽窯)の銘板の画像

    佐々木家(昭楽窯)の銘板

京都で生まれ、茶の湯に育てられてきた楽焼

楽焼は、安土桃山期・天正年間(16世紀末)に茶祖・千利休の創意により、「利休侘茶」の美意識を「茶碗」という形に表し、京都で生まれ、茶の湯に育てられてきた「やきもの」です。

楽焼は轆轤(ろくろ)を使わず、手と箆(へら)だけで成形する「手捏ね(てづくね)」と呼ばれる方法で成形した後、750~1,200℃で焼成した軟質施釉陶器です。
中でも黒楽は、素焼き後に加茂川の黒石からつくられた鉄釉を掛けて焼成します。

日本六古窯などにみられる地域産業的な窯産業の誕生と発展とは異なり、「茶の湯」のための茶碗という明確な目的を持ち、さらに「禅」に通ずる利休侘茶の美意識や思想を一身に受けて誕生したのが楽焼です。

  • 茶碗が焼成される様子の画像

昭楽窯と松楽窯の歴史

京都市の西となりに位置し明智光秀の丹波亀山城があった事でも知られる風光明媚な亀岡。
昭楽窯の歴史は京都 清水寺門前から始まりますが、やがて豊かな緑に囲まれた亀岡に窯を移しました。
初代吉之介氏から始まった佐々木家は代々伝統を受け継ぎながら楽焼に携わり、今日に至っています。

窯元の歴史

  • 窯元の歴史の画像

昭楽窯の歴史は、明治38年(1905年)始祖となる佐々木吉之介氏により始まります。
昭和の時代に京都の大徳寺の後藤瑞厳老師、小田雪窓老師、大本教出口 王仁三郎聖師、そして、平成の時代に大徳寺福富雪底老師と、その時々の巨匠の知遇を得て現在まで百有余年の歴史を刻んでいます。

初代佐々木吉之介氏は千利休の美意識に傾倒し、明治38年に京 洛中から東山・清水寺門前に居を移して昭楽窯を開窯し、京 西北・亀岡の山里に窯を移して百有余年になります。
昭和25年から35年頃にかけて、大徳寺 後藤瑞厳老師・小田雪窓老師の指導の下、大徳寺の御用を勤め「紫野焼(むらさきのやき)」の復興に取り組み、戦後の大徳寺復興に寄与した功績に対し小田雪窓老師より「成雲軒(せいうんけん)」の軒号を拝受して今に受け継ぎ、平成27年には開窯110周年を迎えました。

昭楽窯は、明治38年の開窯以来、百余年歴代の成雲軒・佐々木昭楽氏を筆頭に茶の湯お茶碗を日々探求し続け、現在は二代佐々木虚室(きょしつ)さんが当主を勤めておられます。
また、昭楽窯と共に歩んできた『松楽窯』は、昭和19年に京都 亀岡への移窯の際、王仁三郎楽焼「耀わん」の御用を勤めた折、出口王仁三郎聖師より「松楽」の名を拝受して始まりました。
以後、『松楽窯』は歴代の佐々木虚室氏ならびに成雲軒佐々木昭楽氏の監修指導の下、職人たちによって規格品および普及品の制作に勤めています。

  • 昭楽窯 当主・二代 佐々木虚室(きょしつ)さんが作陶している様子の画像

    昭楽窯 当主・二代 佐々木虚室さん

日本から世界へ

昭楽窯で行われているワークショップには、日本の伝統文化に興味を持ち「禅」に感銘を受けた海外のお客さまが多数参加され、熱心に作陶に挑んでいます。
また、当代当主の二代佐々木虚室さんは日本だけでなく台北・オランダ・パリなどでも個展を開催され、活躍の場を世界に広めておられます。
大徳寺・福富雪底老師より窯名をいただいた「歸來窯(きらいがま)」では、伝統に現代の美意識を加えた新しい表現の作品にチャレンジされています。

  • 昭楽窯でのワークショップの様子の画像

    昭楽窯・海外でのワークショップの様子
昭楽窯 当主・二代 佐々木虚室(きょしつ)さんの画像
昭楽窯 当主・二代
佐々木虚室 (Kyoshitsu Sasaki)
昭和39年 京都府亀岡市に生まれる
昭和55年 京都市立銅駝美術工芸高等学校陶芸科に入学
昭和58年 大阪芸術大学芸術学部工芸学科に入学
昭和60年 京都府立陶工職業訓練校に入校
昭和61年 同校修了の後、父佐々木虚室(輝夫)のもと技術習得に励む
平成8年 紫野大徳寺五百二十世住持同寺第十四代管長福富雪底老師より窯名「歸來窯」を拝受
以来、歸來窯茶陶の制作に励む
平成23年 「虚室」を襲名
平成26年 台北市にて海外初個展開催
令和5年  フランス・パリにて個展開催