~お茶のこころを伝える~ 父から子への手紙 令和三年・秋

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季節を五感で感じ、自然と一体となることで人生を豊かにしてくれる「茶の湯」の世界。
お茶をたしなむ父から愛する子にあてた手紙には、相手を思いやるさりげない心づかいや、現代人が心豊かに人生を送るためのヒントが散りばめられています。
お作法やしきたりはちょっと横において、暮らしの中で楽しむ「茶の湯」の世界を覗いてみませんか。

父から子への手紙 令和三年・秋

  • 父から子への手紙イメージ画像

拝啓 太陽の光が幾分和らいだように感じます。

春からの社会人一年目の一人暮らし、その後いかがお過ごしだろうか。何かと不自由なこともあるだろうが、人生において様々な事を吸収するには今が一番よい年代であると割り切って考えれば気持ちが楽になり、自ずと道が拓けてくるものだ。

人間萬事塞翁が馬

人にとって何が幸いするかは誰にも分からない。現在、君が置かれている状況に右往左往しても仕方がないのだ。ありのままを大切にして、人生で経験することには無駄がないのだとどっしりと構えることがコツだよ。

先日ふと思いつき、この掛軸をリビングに掛けて、お母さんと盆略点前で一服いただいた。茶会記を同封するのでストーリーを解いてみて下さい。

彼女もまだ君がそばに居ないことに慣れないようだが、しっかりとこの禅語の意味を受け止めているようだったからご安心下さい。

コロナ禍の一人暮らし、大変だが応援しています。お元気で。

敬具

  • 前大徳戸上明道師筆「人間万事塞翁が馬」の画像

    前大徳戸上明道師筆「人間万事塞翁が馬」
  • 盆略点前のお道具の画像

    茶碗「永樂善五郎(而全)作 祭日ノ絵 茶碗」
    茶杓「前大徳田島應師作 銘《知足》」
    棗「吉田華正作 中棗 銀錆塗 秋草」
    鉄瓶「砂鉄南部鉄瓶 花鳥地紋」
    建水「吉田華正作 建水 乾漆粉塗 緑」

会記(茶会のお道具目録)

  • 茶会のお道具目録の画像

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子から父への返信

前略 先日はお手紙をありがとう。私は元気でやっています。仕事も春には手探り状態でしたが半年経過した最近、ようやく慣れて気持ちにも少し余裕が出てきたように感じます。

人間萬事塞翁が馬、の言葉は子供の頃から父に聞かされていたので何かあるといつも頭の中に現れて私を励ましてくれます。

茶会記を見ると、茶杓に「知足」とあるので、私の心の持ち方や精進の仕方次第で世の中全ての事が福となるぞ、という父からの応援の言葉と理解しました。でも自分の分限をわきまえるには、限度を知らなければならないので、私のやることをしばらくは目をつぶっていて下さい。

お菓子が「古都の名月」でしたね。場所は違うけれど同じ月を観ているんだなと想像すると、自然に両親の顔が浮かびました。

こちらは今のところうまくやっていますのでご心配なく。お身体に気をつけて。

草々

  • 茶杓の画像

    茶杓「前大徳田島應師作 銘《知足》」
  • 京都・塩芳軒「古都の名月」の画像

    京都・塩芳軒「古都の名月」

~お茶のこころを伝える~
日本橋三越本店 美術部 茶道・工芸担当 三宅 慶昌

「人間萬事塞翁が馬」(じんかんばんじさいおうがうま)の言葉は中国の『淮南子』に登場します。この短い言葉は、人生に起こる良いことも悪いことも予測ができず、幸が不幸に、不幸が幸にいつ転じるかは誰にも分からないのだから安易に喜んだり、悲しんだりしても仕方がないということを教えてくれます。

コロナ禍における緊急事態宣言により昨年の春から夏にかけて、三越本店も約二カ月の休業を余儀なくされました。その間に私も自宅にこの掛軸を掛けて心を落ち着かせたものです。今は不幸のどん底でも、いつかは好転するその時のために準備をしよう。そう考えるとこの言葉がいっそう深いものへと変わりました。時間のある今だからこそできることは何か。外に出られないここだからこそできることは何か。臥薪嘗胆、即今即今・・・

いろいろと考えているとこの言葉の持つもう一つの意味に思いが至りました。

普段の生活に戻っても油断をしているとまた逆戻りをする、人生においては何がよくて何が悪いのか、後になってみないと分からない。だから後悔のない生活を送らなければならないのだと。

緊急事態宣言が明け久しぶりに営業再開となった三越本店の美術部茶道具サロンの大きな床の間には「無事」を、脇床には「円相」と「一」を掛けました。

コロナ禍を無事に生き抜いたみなさまとともに、また一から明るい世の中をつくりたいという願いを込めて。

  • 茶碗「永樂善五郎(而全)作 祭日ノ絵 茶碗」の画像

    茶碗「永樂善五郎(而全)作 祭日ノ絵 茶碗」
三宅 慶昌さんの画像
三宅 慶昌
日本橋三越本店 美術部 茶道・工芸担当
大学時代に成城大学名誉教授・清水 眞澄先生(現・三井記念美術館館長)に師事し、主に日本美術についての研究、造詣を深め、博物館学芸員資格取得。1991年株式会社三越に入社。新入配属として日本橋三越本店美術部の工芸・茶道具を担当し、以来30年にわたり茶道工芸を中心に作家とお客さまとの橋渡し役を務めている。
また、入社とともに茶道入門、知識と人脈を広げ、人間鍛錬の糧として茶の湯の精神を学んでいる。
プライベートでは、妻と娘二人の父であるが、ともに独立し、たまにSNSで娘たちと交流するのが楽しみ。